神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)は、

初代天皇と言われている「神武天皇(じんむてんのう)」のことで

この神皇承運章(じんのうしょううんしょう)は、本文と一書が第一から四までありますが、

割と短い段で、神代巻の最後となります。

神武天皇の正式名については、いつもの神社検定公式テキスト「神話のおへそ」から引用しましたが、橿原神宮の公式サイトによれば、

神日本磐余彦火火出見天皇(かむやまといわれひこほほでみのすめらみこと)とのことです。

 

海宮遊幸章では、山幸彦=彦火火出見尊と海神の娘・豊玉姫の間に、

「ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと」が生まれたわけですが、これも漢字が変換が難しくて出せない部分があるのですが、彦波〇武〇〇草葺不合尊と本には表してあります。

鹿児島神宮の公式サイトで、山幸彦=彦火火出見尊は、580歳の長寿で農耕・畜産・漁猟の指導をしていらしたとありました。

この年齢については、昔は今と数え方が違うのか?はたまた同じ名前でリーダー的な役割を承継したのか?他のネットの情報でも何百万歳だの神代の年齢には様々な説があります。

 

それでは第十一段 生まれてきた順番や名前の微妙な表記の違いがメインです。

【本文】

うがやふきあえずの尊は、その叔母の玉依姫を妃として、

彦五瀬命(ひこいつせのみこと)

稲飯命(いなひのみこと)

三毛入野命(みけいりののみこと)

神日本磐余彦尊の合わせて4人の男子をお生みになりました。

久しくして、うがやふきあえずの尊は、西洲(にしのくに)の宮で亡くなられました。

そこで日向の吾平山上陵(あひらのやまのうえのみささぎ)に埋葬申し上げました。

 

【一書 第一】

まず

彦五瀬命(ひこいつせのみこと)

稲飯命(いなひのみこと)

三毛入野命(みけいりののみこと)

次に狭野尊(さののみこと)又は神日本磐余彦尊

狭野というのはご幼名で、のちに天下を平定され八洲を治められました。

そのため御名を加えて神日本磐余彦尊と申します。

 

【一書 第二】

五瀬命(いつせのみこと)

三毛野命(みけののみこと)

稲飯命(いなひのみこと)

磐余彦尊(いわれびこのみこと)または神日本磐余彦火火出見尊

 

【一書 第三】

彦五瀬命

稲飯命

神日本磐余彦火火出見尊

稚三毛野命(わかみけののみこと)

 

【一書 第四】

彦五瀬命

磐余彦火火出見尊

彦稲飯命

三毛入野命

 

ちなみに古事記では、

五瀬命

稲氷命→母の国である海原に入る

御毛沼命→波頭を踏んで常世の国に渡る

若御毛沼命(わかみけぬのみこと)、またの名を豊御毛沼命(とよみけぬのみこと)、神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)=神武天皇という四柱の神が生まれたとあります。

 

以上、この神皇承運章で神道の根幹にかかわる記述のある神代巻は閉じられます。

如何でしたか?