山幸彦と海幸彦 海宮遊幸章 一書 第二 | 心の鏡

心の鏡

このブログは主に神道について書いています。ブログタイトルの心の鏡とは内在神を表し、神社のおみくじの神の教に「神様の御光が我が心の鏡に映るその時、凡ての心の曇り、心の闇は晴れゆきて、広き明き御恵みを授かる事が叶う」とあったところから命名しました。

この章においては大体ストーリーが同じで、一書の第二では、どこが微妙に違うかだけ書きます。

 

彦火火出見尊は、海神の宮の城門前にある井戸のそばの桂の木に「跳び上って」立っておられました。

 

豊玉姫が中から持って出てきたのが玉のまり。

井戸の水面にその彦火火出見尊の顔が映って驚いて玉のまりを落として割ってしまいました。

 

そして、姫の父神が招き入れた時に、畳を幾重にも敷いて招き入れました。

 

釣り針を探すために魚たちを集めた時、赤女(あかめ)だけ口の病で来られなかったところが、あるいは口女(くちめ)の口に病があったとも言われています。

それから海神が口女は天孫の食卓には乗せないと命じ、口女を天皇の御膳に出さないのはこれが由来です、とありました。

 

次の場面で彦火火出見尊が帰る時に釣り針と共にお渡ししたのが潮満ちの玉と潮干の玉

 

それから兄神の海幸彦へ釣り針を返すときの呪いの言葉が違います。ここでは

「まぢち・ほろびち・おとろえち」

貧しく、滅び、落ち薄いという漢字が使われていました。

海神は兄弟げんかに首を突っ込んで山幸彦の復讐と支配に加担し

「そう言ってから、後ろに投げ捨ててお渡しなさい。面と向かって渡してはいけません。もし兄神が怒って害をなそうとしたら、潮満ちの玉で溺れさせなさい。もし苦しんで助けを求めたなら潮干の玉で救ってやりなさい。このように責め悩ませれば自然と服従して来るでしょう」とお教えしました。

 

で、彦火火出見尊はその通りにしてみたのですが、潮干の玉で救われ、兄神は元に戻ってしまうと、服従せず助けを求めた前言撤回し、

「私はお前の兄だ、どうして兄でありながら弟に仕えるものか」と言われました。

そこでまた彦火火出見尊が潮満ちの玉を出したので、兄神はそれを見て高い山に逃げ登りました。

しかし潮は高い山まで沈め、高い木に登っても潮はそれも沈めました。

兄神は追い詰められて逃げ場もなくなり罪を認めて、

「私の子々孫々までもあなたの俳人(わざひと)となりましょう。どうかお憐み下さい」と言われました。

あるいは、狗人(いぬひと)になったとも言います。

それでついに弟神に従われました。

この兄神=火酢芹命の末裔である隼人らは今(日本書紀編纂当時)に至るまで天皇の宮垣のそばを離れず、吠える狗に代わって声を上げる役目を果たしています。

世の人が失った釣り針を催促しないのは、これが由来です。

 

以上が第二の一書の少し違う点でした。