父君が天へと還られ、天津彦火瓊瓊杵尊は、日向の高千穂の峯に降り立たれ、
荒れてやせた土地を、丘伝いに国を求めながら巡り、浮島のある平地に立たれて、
そこの国主(くにのぬし)の事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)を呼んで尋ねられました。
勝長狭は
「ここに国があります。御心のままになさってください。」と答えました。
そこで皇孫は宮殿を建ててこの地に住まわれました。
その後、海辺に遊んで一人の美女を見つけられ
「お前は誰の娘か?」とお尋ねになると
「私は大山祇神の子で、名は神吾田鹿葦津姫(かむあたかしつひめ)、またの名を木花開耶姫(このはなのさくやひめ)です。」と答え、さらに
「我が姉に磐長姫(いわながひめ)がおります」と申し上げました。
皇孫が
「お前を妻にしようと思うがどうか」とおっしゃると
「どうぞ父にお尋ねください」と答えました。
そこで皇孫は大山祇神に
「私は、そなたの娘を見て、妻にしたいと思う」とおっしゃったところ
大山祇神は二人の娘に沢山の飲食物を持たせて奉りました。
しかし皇孫は姉の方は醜いと思われて召されず、妹の方だけを召されました。
磐長姫は大変恥入り
「もし天孫が私を退けずにお召しになっていれば、生まれる御子は長寿で固い岩のように永久でしたでしょうに。しかしそうはなさらずに妹だけを召されたので、生まれる御子は木の花のように早く散り落ちる事でしょう」と呪詛しました。
または磐長姫は恥じ恨んで、唾を吐いて、泣きながら
「この世の人々は木の花のように、はかなく移ろい、衰える事でしょう」と言った、とも伝えられています。
これが世の人の命が短い事の由来です。
この後、神吾田鹿葦津姫は、その一夜にして身ごもりましたので、皇孫に
「天孫の子を身ごもりました。私だけでお生みするべきはありません」と申し上げると、
皇孫は
「たとえ天津神の子であっても、一夜にして人を孕ませることは出来ようか。我が子ではあるまい」と疑いました。
神吾田鹿葦津姫は非常に恥じ恨み、戸口の無い産屋を造って、誓約をし、
「私が身ごもった子が他の神の子ならば、きっと無事ではないでしょう。本当に天孫の子ならば、きっと無事に生まれるでしょう」と言って、産屋の中に入り火をつけて産屋を焼きました。
火が初めに起こった時に生まれた御子を火酢芹命(ほすせりのみこと)
次に火の盛んな時に生まれた御子を火明命(ほのあかりのみこと)
次に生まれた御子を彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)またの名を火折尊(ほのおりのみこと)と申します。
以上で一書第二はおしまいです。