天照大神(あまてらすおおみかみ)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)の誓約(うけい)

瑞珠盟約章(ずいじゅめいやくしょう) 第六段 本文

 

素戔嗚尊は、父神の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)に根の国へ行けと命じられ、

「私は今、御命令を受けて根の国へ向かおうとしています。その前に高天原を訪れて姉上に会った後しばらくしてから去ろうと思います。」と申されました。

伊弉諾尊は、それを「許す」とおっしゃいました。

そこで素戔嗚尊は高天原へ向かわれました。

 

この後、伊弉諾尊は神の仕事をすでに終えて、あの世へ赴(おもむ)こうとされました。

そこで幽宮(かくれのみや)を淡路に構え、静かに長く隠れられました。

《淡路市の伊弉諾神宮の創祀起源》

また伊弉諾尊は仕事をすべて果たされ、その功績も偉大であったので天に昇って報告をし、日之少宮(ひのわかみや)に永く留まられたとも伝えられています。

《滋賀県の多賀大社とも推定されている。他に天上界にあるので地上には無いという説もある》

 

さて、勇ましい素戔嗚尊が天に昇っていく時、海原は荒れ轟き、山々は鳴り響きました。

天照大神は元々素戔嗚尊が荒々しく悪い事をご存じだったので、

その様子を聞いて血相を変えて

「我が弟が来るのは、きっと良い心からではないでしょう。恐らくこの高天原を奪おうとしているのでしょう。そもそも父母神は私達それぞれに世界を治めさせられました。どうして行くべき国を捨ておいて、わざわざこの高天原を伺うのでしょう。」とおっしゃいました。

そして髪を結ってみずら(髪を上げて耳の上で結ぶ髪型)にされ、

裳(みも・長いスカートのような衣服)の裾を縛って袴にされ、

八坂瓊(やさかに)の五百筒御統(いおつのみすまる)という長い沢山の赤い勾玉を紐に通した飾りという意味のものを頭髪と腕に巻き付けられ、

背には千本入りの矢入れと五百本入りの矢入れを背負われ、

腕にはいかめしい高鞆(たかとも・鞆は弓を射た後に弓弦が当たるのを防ぐ為に左手首の内側に着ける道具で高鞆は高い音を立てる鞆のこと)をつけられ、

弓を振り立てて、剣の柄を握られ、堅い地面を股までのめりこむほど踏み込んで、淡雪のように土を蹴散らかされ、いかめしい態度で素戔嗚尊を詰問されました。

 

すると素戔嗚尊は

「私には元々悪い心はありません。父母の御厳命があって、永く根の国に去るつもりです。しかし姉上に会うことなく、どうしてそのまま去ることができましょうか。そこで雲の霧を踏み分けて遠くから参上したのです。姉上がお怒りになるとは思いもしませんでした。」と答えられました。

天照大神は、

「もしそうならば、どうやってあなたの清い心を証明するのですか?」と尋ねられ

素戔嗚尊は

「どうか姉上と共に誓約をさせて下さい。そして誓約によって必ず子供を生みましょう。もし私が生む子が女の子ならば汚い心があると思って下さい。もし男の子なら清き心があると思って下さい。」と答えられました。

 

そこで天照大神は素戔嗚尊の十握剣(とつかのつるぎ・握りこぶし10個分もあるような長い剣)を受け取り、3つに打ち折って天真名井(あめのまない)の水ですすぎ、

粉々にかみ砕き、吹き出された霧のような息から神を生まれました。

田心姫(たごりひめ)、端津姫(たぎつひめ)、市杵島姫(いちきしまひめ)三柱の女神です。

 

今度は素戔嗚尊が天照大神の八坂瓊(やさかに)の五百筒御統(いおつのみすまる)を受け取り、天真名井(あめのまない)の水ですすぎ、粉々にかみ砕き、吹き出された霧のような息から神を生まれました。

正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあまのおしほみみのみこと)

天穂日命(あめのほひのみこと/出雲臣(いずものおみ)・土師連(はじのむらじ)などの祖神です)

天津彦根命(あまつひこねのみこと/凡川内直(おおしこうちのあたい)・山代直(やましろのあたい)などの祖神です)

活津彦根命(いくつひこねのみこと)

熊野樟日命(くまののくすびのみこと)

あわせて五柱の男神です。

 

この時、天照大神は

「神たちが生まれる元となった物を考えてみると、八坂瓊(やさかに)の五百筒御統(いおつのみすまる)は、私の物ですから、それから生まれた五柱の男神はすべて私の子です。」と定められて引き取ってお育てになられました。

また「十握剣は素戔嗚尊の物ですから、それから生まれた三柱の女神たちはすべてあなたの子です。」と定め、素戔嗚尊に授けられました。

これが今(日本書紀編纂当時710年頃)筑紫の胸肩君(むなかたのきみ)らが祭っている神です。

 

【私のつぶやき】宗像大社の公式ホームページでは、天照大御神の三女神とされています。

今後、諸説についても記事にしていきますが、この辺色々です。