伊弉諾尊は3人の御子にこう命じました。

「天照大神は高天之原(たかまのはら)を治めよ。月夜見尊は日神と並んで天(雨)の事を治めよ。素戔嗚尊は青海原を治めよ。」

そうして天照大神は天上におられて、ある時、

「地上の葦原中国(あしはらのなかつくに)に保食神(うけもちのかみ)がいると聞いています。月夜見尊よ、行ってみてきてください。」とおっしゃいました。

 

 月夜見尊は勅命を受けて降り、保食神の元へ着かれました。

保食神が首を回して陸地に向けると口から飯(いい)が出てきました。

また海に向けると口から大小の魚が出てきました。

また山に向けると口から毛の粗い獣と毛の柔らかい獣が出てきました。

それらをことごとく供え、沢山の机に載せて月夜見尊を饗応されました。

 

それをご覧になった月夜見尊は顔色を変えて怒り

「汚らわしいぞ。卑しいぞ。どうして口から吐き出したもので私を接待するのか」とおっしゃって、剣を抜いて保食神を切り殺してしまいました。

 

そして天上へ戻り事の次第を報告すると、

天照大神は大変お怒りになって、

「あなたは悪い神です。もう会いたくありません」とおっしゃったので、

月夜見尊とは昼と夜と別々に離れて住まわれることとなりました。

 

その後、天照大神は天熊人(あめのくまひと)に、保食神の様子を見に行かせました。

保食神が亡くなったあと、その頭の上には牛馬が、額の上には粟が、眉の上には蚕が、

目の中には稗(ひえ)が、腹の中には稲が、陰(ほと)には麦と大豆・小豆とが生まれていました。

天熊人は、これらすべてを持ち帰り、天照大神に奉りました。

 

天照大神は喜んで、

「これらは地上の人々が生活の糧とすべきものです。」とおっしゃって、

粟・稗・麦・豆を畑のもの、稲を水田のものとされました。

また、田畑の管理者として天邑君(あめのむらきみ)を定められ、

その稲種を初めて天狭田(あめのさなだ)と長田(ながた)とに植えられました。

秋には穂は立派に実り、大変快いさまでした。

また、蚕は口に繭を含んで糸を引くことが出来たので、これから養蚕の道も始まりました。

 

【私のつぶやき】

コロナワクチン(モデルナ)2回目を接種した翌日、前回のブログを更新した後、何だか強烈な眠気が襲ってきてだるくて、何となく熱を測ってみたら37.8度くらいあったので、事前に買っておいた市販のイブプロフェン入りの解熱剤とか飲んで寝ていましたが、最高で38.8度まで上がりました。注射したほうの腕も痛かったですが、今は平熱に下がって腕の痛さも部分的に狭く弱くなってきました。

もちろん、お施餓鬼の卒塔婆受け取りも家族に行ってもらいました。

 

そんなこんなで、更新が遅れましたが、これで神生みの話(四神出生章)はおしまいです。

 

ちなみに古事記では、月読命は夜食の国と書いて「よるのおすくに」を治めてまして、

このエピソードもスサノオがした話になっていて、まるっきり出番が無いのです。

 

私の脳内では、月夜見尊(月読命・月読尊)は、黒い長髪のイケメン夜の帝王というイメージで、今でいう銀座の高級クラブや一流レストラン・一流料亭のような饗応を期待していったのに、夜食用カップめんの自販機みたいな、ごはんの自動盛り機や、魚や獣提供機で出されたという風に考えています。

保食神は合理的な道具やからくりを駆使して食べ物を提供した機械というか実験室みたいな無機質な物。

そうでないと、一度しかメインで出てこないのに月の神は短気で残忍で悪い神で日の神に軽蔑されて別れ、保食神は非常識で不衛生でお気の毒な最後になってしまうから。

 

この話は昼と夜が分かれた由来と五穀と養蚕の起源を語るもので、

天上にも田畑を設け、そののちの天孫降臨の話にも関わってくるのですが、

私達日本人のご先祖様の発想とかストーリー展開は、現代人の私には乱暴で馴染めない点も多々あります。

次は、誓約(うけい)です。