【前回までのあらすじ】
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)は、沢山の神々を生みましたが、火の神・加具土命(かぐつち)を生んだところで伊弉冉尊はお亡くなりになり、
伊弉諾尊は沢山の子供のうちの一人より妻が愛しくて嘆き悲しみ、
加具土命を恨んでぶった切って、黄泉の国へと旅立った妻を追いかけて行きましたが、
伊弉冉尊は「黄泉の国の食べ物を食べたからもう戻れない、これから寝るから見ないでね」と言ったに関わらず、伊弉諾尊は火を灯して、変わり果てた妻の醜い姿を見てしまい、
怒った妻の放った8人の追手と妻本人に追いかけられ、
最後に磐で坂道を塞いで離縁の誓いを立てました。
【天照大神の御誕生(四神出生章)第五段 一書(第六)その3】
伊弉諾尊は逃げ帰り、
「私は穢れたところに行ってしまったので、この身の穢れを洗い清めよう」と
筑紫(つくし)の日向(ひむか)の小戸(おど)の橘のあわき原に行って禊祓をされました。
その時「上の方は瀬の流れが速すぎ、下の方は瀬の流れが緩すぎる」とおっしゃって、中ほどの瀬で身をすすがれました。
これによって八十禍津日神(やそまがつひのかみ)が出現し、次にそのまがっているのを直そうとして神直日神(かむなおひのかみ)、次に大直日神(おおなおひのかみ)が出現しました。
また、海の底に潜って身をすすがれた時に、底津少童命(そこつわたつみのみこと)
海の中ほどで身をすすがれた時には、中筒男命(なかつつのおのみこと)
海の上で身をすすがれた時には、表筒男命(うわつつのおのみこと)
が出現しました。
この3柱の神は住吉大神(すみのえのおおみかみ)で、阿曇連等(あずみのむらじら)がお祭りしている神です。
その後、伊弉諾尊が左目を洗われた時に、天照大神(あまてらすおおみかみ)が
右目を洗われた時に、月読尊(つくよみのみこと)が、
鼻を洗われた時に、素戔嗚尊(すさのおのみこと)がお生まれになりました。
やがて伊弉諾尊は
「天照大神は高天原を治めよ。月読尊は青海原の潮の八百重(やおえ・潮流のこと)を治めよ。素戔嗚尊は天下を治めよ。」と命ぜられました。
この時、素戔嗚尊は既に成長して立派な髭が生えていましたが、天下を治めずに泣いたり怒ったりするばかりでした。
そこで伊弉諾尊が
「おまえはどうしていつも泣いてばかりいるのか?」と、問うと、
素戔嗚尊は
「私はただ母のいる根の国に行きたいと思って泣いているだけです」と答えたので
伊弉諾尊は怒って
「好きなように行ってしまえ!」とおっしゃって追放されてしまいました。
というわけで、一書の第6パターンがやっと終わりました。
これは古事記での展開とよく似ていて、本文より古くから日本にある伝承と言われています。
本文(正伝)は、編纂当時の歴史的背景・外交情勢から、
陰陽の働きによって万物が生まれるという大陸の中国の陰陽思想を意識していて、
皇室の祖神でもある天照大神が男女2神がそろって生んだかたちにしたのではないかと考えられています。
しかし日本では国や神々を生んだ夫婦神からして離婚していたとは。
他の宗教では神の前で夫婦となると誓ったからには離婚は許されないという考えもありますからねぇ。
あと、現代人で妻であり母でもある私には、どうも伊弉諾尊のなさる事が理解できません。
国生みでも3年足が立たないからって蛭子を流してしまい、
神生みでも加具土命が妻をやけどさせたからって斬り捨て、
その最愛の妻も黄泉の国で穢れているからこっち来るなで離縁、
一人で洗って生まれた子供の素戔嗚尊は母恋しと言ったからって根の国に追放するし。
大体、離婚理由が妻の体から膿が出て虫が湧いていたからってのが納得できなくて。
薬の神様呼んで来ればよかったのに。
身に着けていたものをブドウだのタケノコなど食べ物に変化させて投げつけてないでさ~。
亡くなったはずの伊弉冉尊も、話したり追いかけてきたり、亡くなって膿が出ている割には元気な様子なのもどう解釈していいものか。
一説には、このことから生きている人と死者の国がはっきり分かれて行き来ができなくなったという事を表しているそうですが。
また、第6では月読尊は青海原を治めるように命ぜられています。
別の説では素戔嗚尊が青海原か根の国または天下なので珍しいです。