放置感がいいわ💕
実際には消えてもないし
どこかの場所には生きて存在してる。
リアルに日々暮らしてる。
SNSと言うものは全く架空のお付き合い。
ここに何を求めるのか。
アクセスもほぼない。
→それが欲しいのか?
いいねの数もほぼない。
→そんなに共感してもらいたいのか?
FB(自分の思ってることを書けるようになれたのはこのFBを始めたから)
Instagram(FB辞めたけど、吐き出し場所ほしくて始めた。写真をどんどこアップしやすくてFBよりも軽く表現できた)
2013年から合わせて8年間
どっちもやりながらずーっと自分を観察。
陶酔した時もあったな。
どれもストップして何が起きたのか。
“メリット”
1.時間が出来た
2.投稿へのいいねが気にならなくなった
3.人のキラキラに反応しなくなった
4.頭の中で投稿する文章を考えなくなった
5.自分は自分、人は人と分けて感じられるようになった
6.自分の所在や今日何やってる等のことを知られなくなった
7.関心を寄せてもらっていたという勘違いに気づいた。
8.余計な買い物をしなくなった
9.煩わされることが無くなった
10.連絡が入るかもしれない!と持ってるだけで緊張していなくても良くなった
11.(ほんとは一位)自分の思ってることを書けるようになった
“デメリット”
1.お知らせなど伝える手段の一つを失った
2.予約やお問い合わせをいただく手段の一つを失った
3.今日はこんなことして忙しかったと言う言い訳を伝えられなくなった
4.情報が入らなくなった
5.、、、、、、、、
デメリット書いてたら、メリットの方が出て来る(笑)
デメリット達はそもそも「家電・パソコン」で充分その用事は可能であるし、
自分の毎日を誰彼にも伝えていることのバカさにもやっと気づいたわけで、
情報もそもそもAIによって勝手にそっちに向かされるようになってたりするから似たような感覚で操作されてるわけで。
iPhoneやモバイル持ってることで
いくら位置情報をオフにしたところで
Apple社には常に把握され続けているらしい。
ま、Apple社から見てわたしなんぞどーでもよい生き物だけどもね。
20代周辺の者に情報の操作や所在のことを「嫌だ、怖い」とか言ってみても「なんで?」の世界。
自分でも、なぜか?と考えてもみたが
「こうだ!」とはっきり言える言葉はまだ見当たらない。ただ気持ち悪いとだけ。
ワクチンはマイクロチップが埋め込まれてるとか言う情報もあるね。
その昔、ってか
ほんの20年前くらいから携帯電話が生活に近づいてきた。
そして、めっきり肌身離さずになってしまったのは10年ほど前の「LINE」の出現。
LINEのスタンプに驚いたその時からのめったのを覚えている。
23の息子が中学1年だった。
いつどこにいても誰とでも繋がれる。
凄い機能。
これでさらに人のことを気にする生活が向上すること間違いなしだったね。
そして、自分を曝け出していることがなんでなんだ?と考えたとき、、、
「生存していることの必要性」
「だから生きてていいんだよ」的な
生きている理由といいましょーか?
「存在価値」を誰かに聞いてもらって、証拠として人に認めて貰いたいと言う思いでやってる気がしたのだ。
誰に知らせていれば、その思いは叶うの?
いつからこんな風に思うようになったのだろうか。
自分が今日一日楽しければいいのだけども
「成果」がないと「生きてる意味がない」と強く思うことがあったんだろうね。
だから、それをちゃんと書き残して
ね?だから、わたし生きててもいい?
って誰かに上目遣いしてお伺いをたてているのかもしれない。
愛着障害に少し目を向けたとき感じたのは
「父親」だった。
思い出されることは3歳からの小さな頃が中心のほぼ父親から受けた暴力や嫌なことだらけ。
母親とのことはほんの少しの切り取った部分的なシーンだけ。
大体の記憶は「放置されていたこと」くらい。
いい思い出よりも嫌だったことの方がより鮮明。
2015年からわたしは「自分を失っていたこと」に気づき、取り戻すこと「自分探し」を始めた。
きっかけは「毎日目が覚めてまた同じことの繰り返し。生きてる意味がわからん。何が面白いの?」と発言したことから。
6年経って、ずいぶんと覚醒したもんだと思っているが、どーやら余計に生き辛い気がする。
世間に流され
文句言いながらも笑って泣いて
それが当たり前なんだよって
ただ、普通に生きてる方が
いくらも楽ちんかも
新聞でその人の紹介に職業が必ずある。
犯罪を犯した人の「無職」にいつもざわつく。
存在に条件が必要なのかな。
わたしが存在する「条件」とはなんだろう。