自分は物静かで優しい理性的な人間になりたいとおもう。だが、自分が今大切にしている音楽的な衝動はきっと本能の中にあって、理想像とは離れている感情である。その衝動を殺したくないし、増幅させたいとさえおもう。音楽の場合だけではなく、日常生活でももっと本能的に生きたいと悩むこともある。それではどうして、冷静で優しい人間になりたいとの理想を掲げているのだろうか。そして、理想の自分を実現するためにはどうすればよいのか考えてみる。
まず、憧れと理想の違いについて考える。憧れは他者を見て自分にはないその魅力に惹かれ、自分もそのような立場になりたいと思い、強欲にいけば自分と他者を交換したいとさえ考える。だがそれは自身の本質とかけ離れている場合、叶わないことが多く、努力しても中途半端に終わってしまうことが大半であろう。対して理想は、本来自分の目指すものと考えるべきではないだろうか。憧れとは違い、理想は自分のもので、近いものと考えるべきだ。
もしも憧れと理想がリンクしていたらなんとも生きやすいことであろう。苦悩もなしにこの世の中を軽快に生きている人は、そのような境遇にあるからではないだろうか(自分とは異なるので憶測でしかない)。
一方憧れと理想が違う場合はどうなのだろうか。もちろん、憧れではなく理想を目指していくことが自明の理であるが、自身の理想とは何たるかを他者を見て探し出し始めれば罠にはまることとなる。他者を見ている時点で憧れを探し出す作業となっているからだ。今回は憧れと理想がかけ離れているケースを考えているので、理想とは違う憧れを目指しても上手くいかず、苦悩を終わらせることができない。自分はこちらのケースで憧れと理想を混同させて悩んでいる状態なのではないだろうか。
それでは理想とはどうやって見つけるものなのだろうか。それは行動単位で自分を見つめることにあると思う。ひとつひとつの自分の行動をベストか見つめ直していくのだ。その際に「他者からどう思われてるか」や憧れと重ねて比較するのはNGだ。本当の理想を探し出すためには自分が一番よいと思う行動を取ればよいのだ。他者からの視線や憧れのことを持ち出すと幾つもの正解のようなものが見えてくるので迷いがでるし、ベストな行動を選択できなかった場合、短期間で見れば満足することができるが、持続することができなくいつかパンクすることとなる。よって、理想像という型に行動をはめていくのではなく、行動ひとつひとつを自分のベストか考えながら選択していくことが最も理想に近づくことになるのではないかとおもう。