不安を見る癖
ついつい、足りないものに目がいく。足りているものがたくさんあるのに。これは長年の癖で、気づいたときにはもうそうなっていた。でもこれは、意志が弱いとか、性格が暗いとか、そういう話じゃないと思う。田んぼは綺麗だなぁ人間の脳はもともと、生き延びるために「欠けているもの」「危険なもの」を先に察知するようにできているから。原始の時代なら、その能力が命を守った。不足に敏感であることは、本来は生存本能だ。だから、癖があること自体を責めなくていいんだ。「またこういう思考をしてしまった」と自分を攻めるのは、むしろ逆効果なり。脳がちゃんと働いている証拠でもあるのだから。問題は、あるものが「当たり前」になってしまうこと。あると見えなくなる。なくなって初めて気づく。風邪をひいて寝込んで初めて、「健康って、こんなにありがたいものだったのか‼️」と思うものだし大切な人が遠くに行って初めて、「そこにいてくれるだけで良かったんだ」と気づくし。それが人間の感覚の仕組み。慣れることで、脳はエネルギーを節約する。毎回感動していたら疲れてしまうから、慣れは必要なことでもある。でも、慣れすぎると「あって当たり前」になり、感謝が消え、不足だけが見えてくる。だから、毎日意識的に立ち止まる必要がある。「今日、当たり前じゃなかったことは何だ?」私は毎日の瞑想で、今あるものにフォーカスしてる。今日だって、ちゃんとあった。─ 健康で、体が動いたこと─ 子供とたくさん遊べたこと─ ご飯をたくさん食べられたこと─ 買い物ができたこと─ 車があること─ 家があること─ 屋根があって、布団があること盛岡は綺麗だなぁ「子供とたくさん遊べた」——このことだけでも、どれだけのことが重なっているか、、すぐ忘れちゃうけど笑時間があって、体が動いて、子供がそこにいて、気持ちに余裕があった。仕事が忙しすぎれば時間がない。体調が悪ければ動けない。子供だっていつまでもそばにいるわけじゃない。全部そろって初めてできること。それが「子供と遊ぶ」という、一見当たり前の一日。「当たり前」のことは、本当はひとつもない。若い頃からお金に余裕がなかった私。収入の問題もあったかもしれないが、それだけじゃなかった気がする。不安に飲まれていたから、余裕が生まれなかったのかもしれない。不安があると、人は「足りない、足りない」という思考に引きずられる。今あるものが見えなくなる。使えるものが使えなくなる。チャンスがあっても、怖くて動けない。不安が先に立つと、判断が狭くなる。視野が狭くなる。結果として、お金も時間も、気持ちも、余裕がなくなっていく、、。不安に飲まれる波にのまれて、自分がどこにいるかわからなくなる感覚。息ができなくなる感覚。でも今は違う。完全に不安がなくなったわけじゃない。でも、不安に気づくことができるようになった。「あ、今不安だな」と思う瞬間がある。それは小さなことのようで、実はとても大きな変化だと思う。気づけない不安は、静かに自分を支配する。気づける不安は、自分で選択ができる。飲まれるか、気づくか。その違いは、人生のかなり多くのことを変えてしまう。「今、不安だな」と思った瞬間にやること。難しいことじゃない。シンプルなこと。大きく、深呼吸する。ただ息をすることだけに集中する。吸って、ゆっくり吐く。それだけ。不思議と、落ち着く。頭の中でぐるぐる回っていた思考が、少し静かになる。体が少し緩む。肩の力が抜ける。そうすると、「息ができている」ことに気づく。今この瞬間、肺が動いている。心臓が動いている。それだけのことが、ふっと感謝になる。息ができる。それだけで、もう十分だと思える。不安が消えるわけじゃない。でも、気持ちが少しマシになる。波にのまれていたのが、波を少し上から見られるような感覚になる。■ 不足を見る目は、今日も働くけどそれでヨシ不足を探す目は、今日も勝手に動く。脳はそういうふうにできているから、止めることはできない。それでいい。ただ、たまに立ち止まって、あるものを数えてみる。頭の中でつぶやくだけでもいい。「今日、当たり前じゃなかったことは何だろう」と問いかけるだけでいい。不安を感じたら、一度だけ深く息をする。それだけで、少しちがう景色が見える。景色が変わると、選べることが増える。選べることが増えると、余裕が生まれる。余裕が生まれると、また次のことができる。不足を見る癖に気づいて、あるものを数えて、深く息をする。それだけのことが、その繰り返しが、じわじわと、人生を変えていく気がしてる。