西山のばあちゃんのロケットおにぎり | NIKKA-BOKKA 

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子育ち講座を修了した母親の実践や気づきを綴っています

5月1日(水)

 

私と妹が保育園に通い始めた時、実は登園時間も誰よりも早く、

早番の先生が来るのを待ち構えて園に入れてもらっていました。

そしてお迎えは午後6時以降まで残れる先生が、

「まだですかね~?お迎え。」「今日はまた遅いですねぇ。」

隣の職員室からホールで待つ私達をちょこちょこ覗きに来ては、

先生達がため息まじりにそう言って職員室に戻るうしろ姿を

私もチラチラと目で追いながら・・・なんとなく重い空気。

幼な心にも何かしらを迷惑がられているんだというのがわかりました。

 

ある日の夕方、母が息を切らして私達を迎えに来て、

「すみませんっ、遅くなってしもうて。」「遅くまでありがとうございました。」

そう言いながら、何度も折れそうなくらいに腰を折り曲げ、

待ち構えていた園長先生に謝る姿がありました。

 

「いやあ、あなたも大変よね。よく頑張るね。」

「ばってん、こう毎日毎日朝も早くからこんなに日が暮れるまで、お子さん達もきつかよ。

 誰か、送り迎えだけでも預かってくれる親戚とか・・・だれかおらんと?」

そんな話を園長先生がしていました。

 

「はい。」「はい・・・そうですね。」「はい。」

「私の両親は子どもの頃に亡くなってですね。主人の両親は鹿児島で。

頼れる家族は誰もおらんとですよね・・・。

でも、ここに越してくる前も近所の子ども好きの女性に預けて働いてきたけんですね。

こちらでもそういう方が近所にいらっしゃればお願いしようと思って、今探しよります。」

そう母は答えていました。

 

それからどのくらい経った時だったでしょうか。

近所にに住む「西山さん」というお宅の60代の女性が私達を預かってくれることになり、

朝そのお宅に私達は預けられて、そこから保育園に通い、お迎えにも来てもらって、

母が帰ってくるまで西山さんちで過ごすことになったのでした。

 

私達は、そのおばあちゃんを「西山のばあちゃん」と呼んでいました。

普段は20代後半の息子さんと二人暮らし。

近所には長女さんの家があり、そこに二人のお孫さんがいました。

そのお孫さんのうち上の男の子が私と同年で、よくその男の子には

「お前達、よそもんのくせに、ばあちゃんちに入るな!」

「お前達のばあちゃんじゃなかぞ!俺たちのばあちゃんやけんな!!!」と

いつも決まったように意地悪を言われました。

大人になった今ならそれがヤキモチだとわかるけれど、

保育園でも、こうやってよその家でも、なぜ自分達がこうも迷惑がられるんだろうと、

小さな私なりにちょっと傷ついてもいたのでした。

(妹は私より二つ下だったので、まったく覚えていないそうです)

 

でも、西山のばあちゃんはいつも優しく穏やかな人でした。

そうね、そうね・・・と笑って、何もそれ以上余計なことは言わない、

庭の小さな畑で草取りをしたりしながら、私達を自由に遊ばせておいてくれました。

そして、私と妹が大好きだったのが、おやつに握ってくれるおにぎりでした。

西山のばあちゃんのおにぎりは、小さく細長い円錐形をしていました。

私と妹は、それを「ロケットおにぎり」と呼んでいました。

多分、小さい子のおやつ用だから小さめに、そして手に持ちやすく口に入れやすい、

そんな思いや工夫で、そういうカタチに握ってくれたんでしょうね。

三角でも丸でもなく、そのシュッとした細長い円錐形が小さなロケットみたいに見えて。

勝手に「ロケットおにぎり」と言い出した私達に、

「そうね、これロケットおにぎりって言うとねぇ。」と西山のばあちゃんはケラケラ笑いました。

そして、私達が「ばあちゃん、ロケットおにぎり食べたか~。」とおねだりすると、

「はいはい、ロケットおにぎりば作ろうかね~?」と台所に向かうのでした。

私が大人になって、どうしても西山のばあちゃんのロケットおにぎりが食べたくなって

自分で握ったことがありました。でも、どうしても西山のばあちゃんのようには握れない。

小さいのに、ちゃんといい感じにやわらかい円錐形になっていて、

お皿に並ぶその立ち姿は、子どもの私の目にはとってもかっこよく、きれいに見えた。

そして何より、シンプルな塩おにぎりで、とってもとっても美味しかった!

 

時々、子育て時代に一緒に過ごした友人に言われます。

「roro君がさ、いっつもotamiさんの隣で塩むすび食べてたのがすごく印象に残ってる。」と。

気がつけば我が家のおやつも、塩むすびが定番でした。

ロケットおにぎり、何度か作って子らにもその物語を聞かせたことがあります。

でも、何度トライしても、あの西山のばあちゃんのようにはならなくって。

そうか、あのロケットおにぎりは、西山のばあちゃんだったから握れたおにぎりだったんだと。

同じじゃなくていい、西山のばあちゃんが私達を思って握ってくれたおにぎりのように、

私はこの子らを思って、私のおにぎりを握ればいい。そう途中から思ったのでした。

 

人生、ちょっと切なく寂しかったり、思うように満たされないと思うことが多々あるけれど、

それをもどうでもよくなるほどに、優しくあたたかく包んでくれる人が必ず近くにいて、

自分のいのちを励まし続けてくれていたことを、今になって次々と思い出す最近です。