一年前の今日。
私はあの時自分の部屋にいました。
夕方からの仕事に行くために部屋着から着替えようとし始めた瞬間でした。
最初は小さな揺れで普段と同じようにすぐ止まるだろうと思いました。
それでもどんどんどんどん大きくなってまずいなって思ったころ携帯から聞きなれないアラームが聞こえてきました。携帯の画面に『緊急地震速報』の文字を確認した瞬間、立つどころか座っているのもままならないような大きな揺れを感じました。
遠くのほうで物が倒れる音やガラスの割れる音。地鳴りのような家のきしむ音。『恐怖』それしかありませんでした。
家には私と兄と姉。揺れがおさまってすぐ家を出ました。
とにかく余震がくるから逃げないと近所の避難所に3人で非難し、ほかの家族の安否を確認。
その間も余震は続き、生まれて初めて『死』への恐怖がよぎりました。
幸いなことに家族は全員無事で家もあちこちヒビが入る程度ですみました。
余震が続く中、家の中へ入れば産卵するガラス食器、倒れた仏壇。二階に上がれば足の踏み場もなく。
家族全員の動きが止まりました。
部屋の入り口を塞ぐかのように倒れているタンス。部屋の壁に添う様に配置してあったベッドは部屋の中央まで動き、初めてそこで体が震えていました。
大きめの余震が来るたびに一回まで駆け下り入り口でおさまるのを待ち、また片付けに戻り。
動ける程度片づけが終わったのは4時間もあとでした。
断水したものの幸い一時の停電だけですみ、テレビを見ながら各地の現状にただ言葉を失うばかりでした。
言ったことのある町、行った事のない土地。テレビに移る燃える町・流される家に言葉も涙も出てこなかった。
簡単に食事をし、家族全員で仏間に布団を敷き詰め身を寄せ合うように眠った。いつでも逃げれるようにとしっかり着込んだまま布団に横になった。家の片付けなどで肉体的にも疲れていたのかすぐにうとうとするものの、地震が来ると目が覚め、またうとうとし、速報が流れると飛び起きる。
そんな生活が数日続き、正直寝た気はせず、起きていても頭がボーっとする日が何日も続きました。
私の住んでる町は津波の心配もなく、県内でも南の方なので比較的被害は少なかったものの建物は老朽化しているものが多く、そこに住む人たちの多くは高齢者。
次の日から知り合いのおじいちゃんおばあちゃんの安否確認に回りました。
多くの人は避難所に移り、必要なものをとりに行くのを手伝ったり。
家主のいなくなった家に空き巣が入らないようにと役場の人の手を借り戸締りをしつつ町のあちこちに残る地震の爪あとに視線がどんどん下がっていきました。
そんな私に一緒に回っていた役場のおじさんが、
『おめぇが下向いててどうすんだ。おめぇらわけぇのが一番見とかなきゃなんねんだ。ちゃんと食って、ちゃんと寝て、ちゃんと見とけ。んでしっかり伝えてけ。それが今できっことだべ』
そういってくださいました。
その言葉にただ歯を食いしばって目の前を見る力をもらいました。
数日後、東海の危険がある家屋には赤い紙が張られ、その紙が張られた家屋は家主でさえ勝手に入ることができず、数ヵ月後にはすべての赤紙の張られた家屋が撤去されました。
あちこちにぽつんと家のない土地が増え、自分の町なのになんだか知らない土地に来たようで寂しいような気持ちになりました。
自分の家が取り壊されていくのを見ていたあるおばさんは
『さみいしねぇ。裏のおばあちゃんは足が悪くてね、一人で仮設住宅は無理だって娘夫婦のとこさ行っちまったし、隣のじいちゃんは腰悪くして入院しちまったし、おらは家さなぐなった…。寂しいない…』
そうこぼしました。かける言葉も見つからず、肩を抱きながら一緒に瓦礫になってく見慣れた民家を見つめました。
この一年、たくさんの人にたくさんの言葉をいただきました。
温かい言葉、優しい言葉…。時には辛辣で中傷的な言葉。
でもそのすべてが私に勇気や活力をくれました。
数ヵ月後自宅があった場所に新しい家を建て、その建設を取り壊されていくと時と同じ場所で見つめながらおばさんが言った一言がずしりと今も胸に残っています。
『なーんにもなくなっちゃったけどねぇ、それでもね、私ここがすきなんだぁ…。だからこんなことで負げたくねぇ。負げちゃなんねんだ』
震災直後、メールも電話もつながりづらい状況で私の身を案じてくださった方々。
TwitterやSkypeで中には会った事もない方もいるのにもかかわらず、私の身を案じ、浮上すれば
『大丈夫?』
『怪我とかしてない?』
『無事でよかった』
と声をかけてくださり、次の日ネット回線が断裂し、大きめの余震が来た直後で連絡が途絶えれば繋がるまで何度も電話し
『大丈夫だよ、遠くにいてもちゃんと繋がってるよ』
『一人じゃないからね』
と励まし続けてくださった友人(もはや恩人に近い)の皆さん。
何度感謝の言葉を述べても足りないぐらい多くの力をいただきました。
そして、私が敬愛してやまない芸能関係者の皆さん。
ブログ、ライブ、テレビ…。
多くの場面で皆さんの言葉に、笑顔に、歌に、想いに、
まっすぐ前を見据え、一歩を踏み出す勇気をいただきました。
特にSoundHorizonのRevoさんにはその歌とお人柄に何度も救われ、そして笑顔を思い出させていただきました。
本当にありがとうございます。
今日からまた一年…いえ、きっと一年では返しきれないこの『恩』を私の小さな力で返して行こうと思います。
どうやって、かはまだわかりません。
でも、
私が歩いたことで何かが変わって、
誰かが笑顔になって、
それがめぐりめぐって私の大好きな人たちへの力になればいいなと思います。
たとえ小さな一歩でもそれが誰かの力になると信じて、
少しずつまえへ。
私ができる精一杯の『恩返し-復興-』を。
最後に一年私が苦しいとき、つらいとき口ずさんだ、大好きな歌を。
『詩で暗闇を照らし
未だ見ぬ地図(せかい)を描く
未来(あす)に辿りつく為に
誰もが歩む 茨の旅路
嗚呼…旅人(とも)よ、恐れるな
その瞳に映る現実(ひかり)を
この国に繋げた軌跡
足跡(ほこり)を胸に
共に詠おう』 by【栄光の移動王国 -The Glory Kingdom-/Sound Horizon】抜粋
『「頑張れ」なんて軽々しい事は言えない
「頑張ろう」なんて軽々しい事は言わない
けれど 瓦礫の下であっても美しい花は咲くと知っている
嗚呼だから僕等は 祈りの種子(たね)を蒔こう
どんなに離れていても 愛しくて誇らしい ひとつの故郷(ばしょ)がある
想いは詩(うた)で繋がる
Revive→Revive→Revive→ 声を上げて
Revive→Revive→Revive→ 苦しくとも
Revive→Revive→Revive→ 拳上げて
Revive→Revive→Revive→ 今戦う』by【Revive/Sound Horizon】抜粋
榊 朱夏


