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シャヴァンヌ展 水辺のアルカディア─ピュビィス・ド・シャヴァンヌの神話世界



ピエール・ピュヴィス・ド・シャンヴァンヌ(1824-1898)は、壁画制作によって名声を得た19世紀フランスを代表する画家である。しかしながらその含意溢れる詩的で静謐な画面には、たしかにこの巨匠を象徴主義の先駆者として位置付けさせるものがある。

 リヨンの名家に生まれ、パリのリセに進む。卒業後は2度イタリアに旅行し、ルネサンスのフレスコ壁画などから大きな影響を受け、画家を志す。旅行後はロマン派の巨匠ウジェーヌ・ドラクロワやアカデミスムの画家トマ・クチュールらのもとで絵画を学び、さらに夭折の画家テオドール・シャセリオの壁画にも大きな影響を受ける。

こうして保守的な様式とロマン派の大胆な作風の両方に接しながら模索を続け、ようやくその方向性を見出したのは30歳になってのことで、兄が持つ別荘の食堂の壁を飾る装飾画の制作がきっかけであった。四季を題材とした4点と放蕩息子の帰還をテーマとした作品には、確かに以降の壁画家としてのシャヴァンヌの芸術の萌芽が表れている。

一方、サロンでのデビューは1850年のことで、その後8年連続で落選し、1861年36歳で出品した《戦争》と《平和》という、古代の人間の営みを寓意的に表現した大画面の叙事詩的作品で初めて高い評価を受ける。《戦争》と《平和》はこれに続く《労働》と《休息》とともに、アミアンのピカルディ美術館(当時のナポレオン美術館)の階段の壁画として採用され、さらに大作《プロ・パトリア・ルドゥス(祖国のための競技)》などがこの美術館の壁を飾ることになる。

そしてアミアンを皮切りにマルセイユ美術館、パンテオン、リヨン美術館、パリ市庁舎など次々と壁画制作の依頼が入るようになる。背景には当時ナポレオン3世が各地に新美術館の建造を推進しており、パリの都市改造とも相まって、壁画の需要が高まっていたことがあった。




展覧会のメインビジュアルでも使われている作品が《諸芸術とミューズたちの集う聖なる森》。フランス第2の都市で、シャヴァンヌの生まれ故郷でもあるリヨンの美術館の壁画中央部として制作されたものです。

舞台は水辺のアルカディア。
美術館(ミュージアム)の壁画に相応しく、
イオニア式のギリシア建築の前に
9人のミューズ(文芸を司る女神)が集っています。

グレイズ・アナトミーのカリーってラテン美女の整形外科医
カリオペって名前が叙事詩の女神の名前だった


http://www.sararamirez.com/
http://matome.naver.jp/odai/2136259278261734501?&page=1




内容

19世紀フランスを代表する壁画家として知られるピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ(1824-1898)は、フランスの主要建造物の記念碑的な壁画装飾を次々と手がけ、また壁画以外の絵画においても才能を発揮し、数々の名作を残しました。
イタリアのフレスコ画を思わせる落ち着いた色調で描かれたそれらの作品は、古来、桃源郷と謳われて来たアルカディアを彷彿とさせ、格調高い静謐な雰囲気を湛えています。また、その含意に満ちた奥深い世界は、象徴主義の先駆的作例と言われています。
古典的様式を維持しながら築き上げられたシャヴァンヌの斬新な芸術は、新しい世代の画家にも大きな影響を与えただけでなく、日本近代洋画の展開にも深く寄与しました。本展はこの巨匠を日本で初めて本格的に紹介する貴重な機会といえましょう。





映像「壁画に描いた理想郷 シャヴァンヌの世界」(上映時間35分)も良かった
60歳をだいぶ過ぎてから
ソルボンヌ大学の壁画制作もしてた






ゴーギャンやピカソにも

大きく影響を与えたみたいで

ピカソは壁画を模写したり

ほとんど薄いグリーンで描かれた

シャヴァンヌの作品をみて

有名なキュビズムの前の

『青の時代』に入っていったとか。

青の時代(1901~1904年)
親友カサヘマスの自殺に大きな衝撃を受け、無機顔料のプロシア青をベースとする暗青色を基調として、カサヘマス、軽業師、アルルカン、売春婦、乞食、盲人、裸婦、芸術家などを描いた。


音声ガイド量が多くて,

2時間あるといいよ