もっと肉を!!!!!!! :ゲーテは“もっと光を・・・”っつたけど?
普段飲んだ翌日は
朝ごはん抜きで仕事に行くか![]()
無理やり朝食用意されたり、
固辞すると部屋にトレイで運ばれたりすんだけど![]()
一杯食ってるから腹空かないんだよ![]()
いや贅沢な悩みだけど![]()
家に居るなら
昼過ぎに起きてブランチなんだけど![]()
昨日は食い足りなくて![]()
早く起きて10時と12時に2回飯くっちゃったよ![]()
汗をかいてなかったから![]()
でもこの墨とオリーブオイルと白ワインのソースと
こりこり。もちもちの烏賊とのコラボゎ絶妙![]()
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梅毒だったゲーテちゃんゎ
“もっと光を・・・・”
(実際は“もっと女を
”っつう俗説もありやすが
)
っつって亡くなったけど
『王様も文豪もみな苦しんだ性病の世界史』を読む
ビルギット・アダム著
バチカンをも襲った梅毒
十五世紀末にコロンブスが新大陸から持ち込んだといわれ、ヨーロッパで燎原(りょうげん)の火の如く広まったにもかかわらず(日本には、鉄砲伝来の三十年も前の十六世紀初頭に中国経由で伝来)、その起源や名称すら特定されず(ちなみに、イギリス人は「フランス病」と命名していたが、もちろん、根拠は全くない)、二十世紀初頭になってようやく病原菌が科学的・医学的に確定された梅毒。
このように梅毒にいわばひとり勝ちを許してきたのは、梅毒患者=不道徳者といった誰もが反論できないモラルが屹立(きつりつ)していたからだった。
これが、梅毒の社会化を恣意(しい)的に隠蔽(いんぺい)することによる野放図な伝染という皮肉な現象を生み出し、快進撃を続ける梅毒の治療と研究の桎梏(しっこく)となっていたのだった。
このモラルの基盤となったのは、言わずもがな、「第六、汝、姦淫するなかれ」と「聖母マリアの処女懐胎説」を固陋(ころう)にも標榜(ひょうぼう)するカトリック教会だったが、本書によると、独身であるはずの聖職者が妻帯したり、愛人を囲うのは朝飯前。
ローマ教皇や枢機卿に息子がいて、それに自分の職階を譲り渡し、しだいに定着してしまった世襲制。教会が性病の巣窟たる娼家を経営したり(あのローマのシスティナ大礼拝堂の建設も、教会経営の娼家の「あがり」からだったという)、まさに梅毒こそ、バチカン宮殿の「ご常連」だった。
これでは、教会の「聖なる」教えがまったく説得力を持たなかったのも当然である。神の代理人の教権がこの体たらくでは、果たせるかなと言うべきか、梅毒は王侯貴族の下半身を蝕(むしば)んでいたのだった。
それにしても、誤解を恐れずに言わせてもらえば、性病や梅毒は百%ネガティブと判断し、断罪するのは早計であろう。
十八・十九世紀のヨーロッパ文学や芸術の歴史を塗り替えた記念碑的傑作が、性病や梅毒との熾烈(しれつ)な戦いの中から生み出されていたからである。別言すれば、性病や梅毒は時として芸術的創作の動機付けとなったのである。
本書によると、例えば、ボードレール、ハイネ、ゲーテ、モーパッサン、シューベルトなど、実にそうそうたる面々が梅毒で苦しんでいた。
結局、歴史が示しているように、性病と向き合う場合、生半可なモラルではかえって性病の快進撃を許すことになる。現代のエイズヒステリーも然り、と本書は結んでいる。
法政大学教授・川成 洋
アタシは死ぬ間際に
すっげぇ美味い牛肉食べながら
“もっと(牛)肉を![]()
”って言って死にたい![]()
って言ったら笑われた![]()
泡
一本
赤
一本
グラッパ2杯ゎ一緒なんだけど
パスタも食ってないし
あと1品くらいメインも足りないし
満腹じゃなかったってか、
適量だったから朝も腹減り減り腹だったんだね![]()
6月限定のメニューだったんだけど
聞いてみたら、最後の1つだけ残ってた![]()
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牛肉を水だけで4時間煮込む
調味料はブイヨンと塩と胡椒だけ![]()
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水とブイヨンと塩コショウだけで
こんなに美味いものが出来ちゃうなんて
不思議![]()
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牛肉万歳![]()
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赤ワイン


