せとものの街、瀬戸市なう。 

ここを歩くのは20数年ぶりです。








1979 MG Midget 1500 Café Racer*2012年10月21日 

「この年も妙高ラリーに挑戦*2日目」の巻-3/3 


そして表彰式。 

いつもは3位から表彰されるのですが、今回は5位からが表彰されました。 

5位、4位、3位、2位と受賞者が呼ばれ、その中にボクの名前が無かったので、その時点で優勝を確信しました(*^^)v。 

隣に陣取っていた仲間たちに「あとはもう優勝しかないじゃん!」と冗談めかして話し合っていたんですが、本人は結構本気だったりして(^O^)。 

そして長尾会長から「優勝は1979年式MG Midgetで参加された、もりこーさん、森川幸一さんと小堺健司さんのチームです‼」と呼ばれたとき、思わず飛び上がって諸手を上げながら「ヤッター‼」と叫んでしまいました(^_-)。 

壇上に駆け上がり、「2位とは僅か0.1ポイントの差。もりこーさん頑張りましたネ!」と云われたとき、思わずウルウルになってしまいそうになりましたが、憧れのチャンピオンの盾を阪さんから渡されたとき、満面の笑顔に変わってしまいました(^_-)-☆。 


特選吟醸酒、こしひかり10kgの副賞も頂き、そのあと優勝のコメント。 

実は二日目の終盤に差し掛かったとき、運転しながら思わず優勝コメントはこんな感じで喋ったらイイかな?なんて考えてしまい、それを小堺クンに云ったら「もりこーさん、まだ早いっすよ~。まだ最後のチェックポイントが残ってるんすから~」とたしなめられたほどに自信があったのですが、そんな予行演習をしておいたからか、すらすらとコメントも口から滑り出してしまいました(^O^)。 


ネコパブの取材も入っていたので、「目線こっちに向けて下さ~い」のリクエストに「喜びの表情」を記念撮影(^v^)。 


表彰式も終わりまじまじと盾を見たんですが、やっぱChampionと彫られた文字が感動モノでしたねえ! 2位とは雲泥の差です。 


妙高ラリーに初参戦してから5回目、苦節5年、ようやく掴んだ妙高ラリーの盾ですからネ! 

タイムラリーの面白いところというのは、クルマのパワーや速さというのはさほど関係なく、それよりも主催者が出したラリーマップのヒントを元に、自分で緻密に計算してはじき出したチェックポイントの通過時間を正確に履行する、という点にあります。 

ですから、エンジンに何もハイカムを組み込む必要もなく、普段使いのままの姿でも参戦できるのが面白くて、そんなことから次第に各地でラリーが増えてきている要因なのかも知れません。 

いままでの妙高ラリーは、障害物の直前でクルマを停めて、その距離の長短で得点が変化する「寸止め競技」や、2本のラインの真ん中に停めて、その中心具合の優劣を競う「車幅競技」なども何故かラリー競技の中に組み込まれていたのですが、初日に会場に着いてラリーマップを見たら、今回はその手の競技は一切なし。 

大雑把な性格のボクは、この手の競技が超苦手なだけに、純粋にラリー競技だけでの優劣が決まると知ったとき、ほぼ優勝を確信しました。 

ただ、初日は分単位での計測なのですが、二日目は秒単位(正確に書くならば、コンマ何秒単位)での計測になるので、順位を左右するのはコンマ何秒だろうと推測できたので気が抜けませんでしたが・・・。 


前年は初日の暫定1位から、まさかのブービー賞転落、というアクシデントがあっただけに、2位との差が僅か0.1ポイントという今回の優勝は、まさに悲願の優勝。 

ナビゲーターの小堺メカとその喜びを分かち合いました\(^O^)/。 


これは表彰式のあとで渡されたラリーイベントの結果表。 

初日を終えて暫定一位だった8名は、二日目をリタイヤしたジネッタと、16位に落ちたMGB-GTを除き、そのまま1~6位を占めている事が判ります。 

そして優勝と2位との差は僅か0.1ポイント、2位と3位の差は0.4ポイントだった事も読めます。 

つまり20点満点のうちマイナス1点の枠の中に4人が居た訳で、かなりなデッドヒートの結果の優勝ということらしく、それだけに今回のラリーは心に残るイベントでした。 


会場からワイフにはメールを入れておいたので、騒々しい排気音を聞きつけてチャッピーと共にお出迎え(^^♪。 

もちろん夕食時には表彰で頂いた特選吟醸酒を二人で頂きました(*^^)v。













城下町・岩村-3 

2026.04.12 

 

Leica M-E 

Orion-15 28mm/f6 f11

 

 

たまには防湿庫の整理をしてみるもので、こんなレンズを持っていたことを思い出させてくれました(^O^)。 

 

資料によると1955年発売のレンズですが、現物はHCコーティングされたものですから、もう少し後のものでしょう。 

 

早速M9-Pに着けて撮ってみましたが、何故防湿庫の奥の方にあったのか思い出しました。 

 

いずれも絞り開放のf2とf5.6で撮影したもので、解放の描写は霧の中、f5.6に絞っても色再現は濁ったものでした。 

もちろんレンズ自体はカビも曇りもないクリヤーな状態です。

 






 

こういう作業は大型連休中でないとなかなか出来ないので、重い腰を上げて防湿庫の中を整理しました。 

 

ボクはもう先が長くない歳なので、何回かに亘る断捨離でだいぶ数は減らしましたが、まだ生き残っているNikon FやZenza Bronicaなどのフィルムカメラたち。 

そういった持ってるだけで嬉しいけど今後使うこともないカメラやレンズは下の方へ入れて、想い出のあるカメラは一番上の手の届きにくい場所へ、普段使うデジタルライカやレンズたちを出し入れのしやすい位置に入れ直してやりました。 

 

しかも、それらのレンズは今まで無造作に入れていたのですが、チャンと50mm以上、35mm、28mm、25mm以下というように仕分けておきました。  

 

まあ、それもどうせ段々と乱れてくるのでしょうが(^O^)。 

 

レンジファインダーNikonはカメラもレンズも奥の方へ押し込められてしまいましたが、恐らくこれも記念碑的な存在ですから仕方がないでしょう。

 




 

コムラーの35mmにはf3.5とf2.8の2種類があり、ボクは両方とも持っています。 

f3.5の方は1956年、f2.8は1958年の発売で、記録によると後者は1969年まで発売されていました。 

レンズ構成は前者はW-Nikkor 3.5cm/f3.5と同じ3群4枚のテッサータイプ、後者は4群6枚の対称形で、f2.8の方は先に御紹介したW-Tanar 35mm/f2.8と同じです。 

 

余談ですがW-Komura- 36mm/f1.8というレンズが1963年に発売されたそうですが、1964年のカタログからは消えており、ボクも一度も現物は見たことがありません。 

 

どこか遠出をする際に持ち出すレンズはどうしても安心できるものになってしまうのですが、今日は滅多に外に持ち出すこともなく、いつも防湿庫で留守番をしているW-Komura- 35mm/f2.8を持ち出す気になり、市内の万水(よろずい)川に沿って撮影してみました。 

 

4ショット目だけは絞り開放のf2.8で撮影しましたが、四隅が流れることもなく(f3.5の方は解放のf3.5はもちろん、f4でも四隅は流れてしまい、実用になるのはf5.6からです)、周辺減光もさほど感じられず優秀です。 

他は総て絞りf8で撮影したのですが、描写については全く問題なく使えますし、発色についてもアッサリ系で変な色の偏りもなく優秀です。 

 

Leica M9-P 

W-Komura- 35mm/f2.8

 










 

1979 MG Midget 1500 Café Racer*2012年10月21日 

「この年も妙高ラリーに挑戦*2日目」の巻-2/3 


二日目のチェックポイント4か所では、前のタイヤがラインを踏んだときが通過タイムになります。 

因みにボクが計算して弾き出した信濃町のチェックポイント通過時間は9時04分30秒、黒姫のは10時17分00秒といった具合です。 

ナビの小堺メカには30秒前に知らせて貰い、10秒前から秒読み開始。

1mくらい前で停めていたクルマを静々と動かし出して、ジャストタイムの時にラインを踏むようにします。 

今まで何故か気が付かなかったのですが、今回はドアーを半分開けてタイヤのセンターを直視出来るよう顔を出していたので、かなりな正確さでラインを踏む事が出来ました。 

其の様を見ていたのか、後日、阪さんからのメールで「いま思うと、今回イベントでの森川さんは例年より厳しい表情だったような、そんな気がします。」と書いて送ってくれたので、きっと必死の形相だったんでしょうネ(^-^;;。 


ここは最後のチェックポイント、斑尾温泉の手前で各車時間調整をしているところです。 

我々は初日もそうでしたが、二日目もパーフェクトな成績だったと自負していたので(但し、コンマ何秒となると、その点は判りませんが)余裕の表情です(^v^)。 


このあと斑尾高原ホテルで昼食をとり、ジムカーナ会場に移動します。 

ジムカーナは激戦区でボクのMidgetは1498ccですから、1301~1600ccというクラスに入り、そこには強豪エランがひしめいています・・・。 

入賞するためにはよっぽどのチューンナップをするか、1275ccエンジンに乗せ換えるかしかなさそうです(😣)。 

そして我がチームの番です! 

その模様はYouTubeの動画に載せてありますが、直前まで吸ってたタバコを灰皿に突っ込んだままになっていたのに途中で気づき、慌てて蓋をしようとしてるのが笑えます!(^^)!(つまりジムカーナに集中してない証拠(😣)。) 

去年と違ってSタイヤでなくラジアルタイヤにしてきたので、1回だけドリフト&カウンター充てを見せてくれましたが、結果は一位じゃなかった事だけは確か・・・。 

そしてあとは表彰式を待つのみです。













かつてはSLのメッカだった岡山県の伯備線「布原信号所」の訪問記念券。 

現品を見ると、鉄道友の会東中国支部が昭和43年10月に作成したもののようで、ボクはここには15歳のとき昭和44年7月22日に行っているので、タイミングも合います。 

 

この時はまだ末期のように大騒ぎになる前で、中3の坊やが遥々神奈川県から来たというので信号場では歓迎してくれて、お風呂で汗を流して行けだの、握り飯があるならお茶を出すから飲んで行けだのと、逆にこちらが面食らうほどでした。 

 

ボクはこの時に1回しか行っていないのですが、その後は山の地主がお立ち台を作って料金を取ったり、撮影するSLファンの間で罵声が飛び交ったり、凄い事になったようで、佳い時に行ったものと思いました。 

 

インスタだと縦横の写真は一緒に出せないので、仕方なく四角くトリミングしましたが、この写真は当時のボクの愛機Pentax SPにタクマー55mmを着けてSSSで撮ったものです。

 



 

1964 MGB・夏のドライブの想い出-3