昨日もちょっとお話したんですが、
私は、
母に対する感情が、
何重にもよじれていました。
そういう気持ちがあって、
それが、
自分の生き方にかなり影響を与えていた、
と気がついて、
言葉にできるようになったのは、
結婚してからのことです。
今でこそ、
毒親
って言葉があったりして、
親から受ける影響は、
良いものもあるけれど、
悪いものある、
って、
大っぴらに言える雰囲気がありますが。
私の育った環境では、
そんなのとんでもないことだったので。
親に対する自分の気持ちを
きちんと確かめたことなどなかった、
光を当てたことなどなかったのだ、
と思います。
親は、
大事にするべきもの、
尊重するべきもの、
従うべきもの、
感謝するべきもの、
孝行するべきもので。
それが当たり前で、
そうできない自分はダメな存在だと、
自分をずっと責めておりました。
親の生き方と私の個性には、
差がありすぎて、
叱られることや、
がっかりさせてしまうことが、
とても多かったのです。
今思えば、
親には親の価値観や生き方があり、
私は私の個性があるので、
全て親の思い通りにならないのは、
当たり前のことなんですけどね。
更に。
親の私に対する
心配という名の愛情は、
私にとって、
とても窮屈なものでした。
でもその反面、
親の思い通りになれない自分に対して、
深く失望している自分もいたのです。
矛盾していますよね。
よじれまくりです。
ずっと封印していた親への気持ちに、
光を当てるようになって、
ある日ふと、気がついたのです。
心配されたり、失望したりの大元には、
愛情があるんだな
と。
どうでも良ければ、
心配もしないし、
期待に応えられない自分に失望したりもしないから。
それに気がついたとき、
口煩かった親のことも、
良い子になれなかった自分のことも、
許せるようになったのだと、
今は思います。
十数年前、自分も親になって。
娘には、
自分のことを好きになってもらいたい、
と思い、
母である私の価値観に振り回されず、
自由に羽ばたいて欲しいと、
思いました。
でもね。
気をつけていても、
上手くいかないこともあるのです。
知らず知らずのうちに、
娘を思い通りにコントロールしようとしている自分に気がついたり、
娘が思い通りにならないと意地悪なことを言ったりする自分がいたり。
理想と現実のギャップを感じます。
子供が、
親のために何かしたい、
親に認められたい、
と思うのは本能的なものらしく、
なので、
子供が親の顔色を伺うというのは、
ある程度は仕方ないことのようなのです。
いくら、
お母さんのことは気にしないでいい、
と言っても、
ダメみたいなんですよね。
そして、
親が子供を心配してしまうのもまた、
当たり前のことで。
かなり気をつけていないと、
手出し口出しのし過ぎになるし。
なかなか難しいものです。
ルールを守ることや、
我慢することも必要だけれど、
自由であることや、
自分を好きであることも大事にしたい。
そもそもが矛盾しているし、
禅問答みたいなところがありますもんね。
どうやら。
子供の頃は誰もが、
親に愛されたくて、
親に認められたくて、
生きていて、
成長の過程で、
「自分は愛されてる」
ということに自信が持てるようになると、
そこから、
認められるためにやるではなく、
やりたいからやるようになる。
これが理想のようなんですが。
うーーーむ。
なかなかハードル高いですよね…。
行きつくところは、やっぱ愛かぁ…。
諦めず、
日々を楽しみます。