最初に少し科学的なお話をします。

 

宇宙、もしくは地球上にある物質の一番小さい状態を「素粒子」と呼びます。

 

専門的に言うともっと細かい定義や分類があるようですが、ここでは省きます。

 

これまでは原子が一番小さい状態といわれましたが、科学の進歩によりそれよりも小さい状態のものが確認されています。

 

つまり、どんなものでも完全になくなることはなく、極めて小さい状態になっていくということでしょう。

 

「光」は質量も大きさもないと言われていますが、科学がもっと進歩すれば光も極小単位が発見されることでしょう。

 

 

さて、ここからは完全な私見ですが、

 

亡くなった人の魂も、光の粒子と同じような状態となるか、ほかの物質の素粒子の状態のものとくっつき「浮遊」しているものと思います。

 

さきほどの「物質の一番小さい状態」とされるものは、一説には、どんなに距離が離れていてもお互いに「呼応」する性質があるとされています。

 

 

つまり、亡くなった人の魂も、生きている人たちの「思い」と呼応するのではないでしょうか?

 

もちろん、生きている人の「思い」が物質であるとは言い切れませんが、何か伝えるものが存在しているように思います。

 

実際に「人の視線」を感じたり、観客の「熱気」などを感じる訳ですから、生きている人の「意識」や「思い」には伝えるものが存在するのではないでしょうか?

 

 

そういったものにより、亡くなった人の「魂」と、生きている者との「思い」がつながっているように思います。

 

イメージとしては、「ひもにつながった風船」が魂で、それを持っているのが生きている者たちでしょうか。

 

 

素粒子にくっついて浮遊できる魂を、生きている者たちがその「思い」でつなぎとめているような感じがします。

 

 

そして時間とともに、生きている者たちは亡くなった人たちに対して「心の折り合い」をつけ、

 

そして自身もまた人生を終える時期が近付くにつれ、「風船のひも」を伸ばしていくのではないでしょうか?

 

魂と魂も「風船のひも」つながっているかもしれません。

 

そしてそれらが「連凧」のように延々とつながっているのかもしれません。

 

 

地上に話を戻しますと、生きている者の思いの強さによって「ひも」の長さが伸縮するのかもしれません。

 

「折り合い」をつけたからといってひもが切れるわけでもないように思います。

 

「思い」が強くなった時には、「ひも」を自身でたぐりよせていることになっているのでしょう。

 

 

生きている人たちの「気」のように、魂の方からも何か発しているのかもしれません。

 

我々一般人は、それを感じ取る能力が少なく、いわゆる「スピリッチュアル」な能力がある人はそれらをキャッチできるのかもしれません。

 

我々もたまにインスピレーションやひらめきのように感じるものは、ひょっとして魂から発せられたものなのかもしれません。

 

 

長きにわたって存在し続けた魂は、時間とともにつながっていた「ひも」から解き放たれ、他の素粒子に付いて再び地上に舞い降り、

 

木々や作物に取り込まれ、地球上に必要な栄養素として放出されるのかもしれません。

 

魂でさえ、最終的には地球の偉大な自然サイクルによって浄化されていくのではないでしょうか?

 

そう考えれば、魂となった後でも最後には母なる地球で終えることができるのは、少しホッとする気がしませんか?