愛の事についての議題があったので、
自分の感じてる事書いてみます。
愛を言葉でこれと表現するのはとても難しい。感じ方受け取り方で、その人自身の感じられるものは違うと思うからです。
ある人は、優しさや労いの言葉、励ましを愛だと感じ、ある人は、怒りや、嫉妬、妬みすらも愛だという。
人は優しさや気遣いのなかに愛を見つける事は、簡単にできるけど、自分にとって不都合な事に愛を感じるのはとても難しいとは思います。
でももし自分の中にある決してなくなることない愛を感じる事ができたら、相手の中にある愛も感じる事ができます。不都合な怒りや嫉妬を受けても、自分は愛される存在であるからこそ起きるものでもあると思うのです。
怒りを愛として見るか、それとも怒りとして見るかは自分次第です。
だけど、どんなに自分の外で何かが起きても、それによって自分の内にある愛は左右されないもの。奪われたり取られたりしないものだと思います。
誰に愛されても、愛されなくても、何も変わらない。そんな感じのものなのかなぁと思います。
人生ガイドの亮然さんは、相手が何かをしても、否定しない。強要しない。
励まさない。私はガイドを受けてても、そこにとても大きな愛を感じました。
自由でいられたのです。
それは全てが愛の存在であり、魂は愛を既に知っているから。そこに火を灯してあげる、それだけで愛は求めなくてもここにある、私はそう感じれました。
Android携帯からの投稿
自分の感じてる事書いてみます。
愛を言葉でこれと表現するのはとても難しい。感じ方受け取り方で、その人自身の感じられるものは違うと思うからです。
ある人は、優しさや労いの言葉、励ましを愛だと感じ、ある人は、怒りや、嫉妬、妬みすらも愛だという。
人は優しさや気遣いのなかに愛を見つける事は、簡単にできるけど、自分にとって不都合な事に愛を感じるのはとても難しいとは思います。
でももし自分の中にある決してなくなることない愛を感じる事ができたら、相手の中にある愛も感じる事ができます。不都合な怒りや嫉妬を受けても、自分は愛される存在であるからこそ起きるものでもあると思うのです。
怒りを愛として見るか、それとも怒りとして見るかは自分次第です。
だけど、どんなに自分の外で何かが起きても、それによって自分の内にある愛は左右されないもの。奪われたり取られたりしないものだと思います。
誰に愛されても、愛されなくても、何も変わらない。そんな感じのものなのかなぁと思います。
人生ガイドの亮然さんは、相手が何かをしても、否定しない。強要しない。
励まさない。私はガイドを受けてても、そこにとても大きな愛を感じました。
自由でいられたのです。
それは全てが愛の存在であり、魂は愛を既に知っているから。そこに火を灯してあげる、それだけで愛は求めなくてもここにある、私はそう感じれました。
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