与えるためのサポートをしっかり受け取らなければならないと、ここ最近は感じてます。

それは、お金であったり、場所であったり、変化していく知識であったり、
受け取りの学びをしていると、謙虚であること&尊大であること
この相反する2つが凄くネックになりました。

どちらも受けとる時に必要なものです。
2つを分けて考えると少しは納得できるのですが
謙虚であること
全てを受けとること。小さな受け取りに気付くこと。与えられたものが
自分でとどまることなく流れていくこと。

尊大であること。
必要なものを受けとること。自分に価値をおき値するものを受けとること。
分けると、どちらも必要であるとは感じます。

でもこの2つを共にすると、わからない。難しい。

書いていながら少し、わかったような気がします。
後でまとめます。

与える行為というのはどれも神の名においてというのがほとんどであり
与える人は与えるためのサポートを受けているのである。

受けとることも、本来は神が与えたいものを与え、受けとるのである。



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うちの息子は今、絵本を読んであげると、もう一回!もう一回!とねだります。大人からするとそんなに何回も読んでよくあきないなぁと思います。

でも息子ぐらいの年の子は読むたびに違う理解を得るのだそうです。
一回目の時はわからなかったけど二回目はわかった。というように。

この話を聞いて、思い出したのが、
私は同じ本を何度も読みます。
全てにおいてサイクルはバラバラですが、半年後だったり3年後だったり。すると、同じ本だけどこんなこと書いてあったのか~と納得することが多く、理解もより深まります。

そしてこれ人間関係でもありました。理解し難い人がいたとします。
その人の言っていることがわからない。間違ってるように感じる。

人間は、嬉しい言葉よりも、怒りを覚える言葉や言われて辛かった言葉の方が深く心に残るといいます。

よほどの事がない限り人は、時間と共に、気持ちも薄れ、言われたことを思い出すことも少なくなりつついくものです。
しかし印象に残る言葉は、ある日突然思い出します。
その時に、今ならあの人が何を伝えたかったかわかる。
そういう事が凄くありました。
それは自分が進化したということです。

人は見たいものだけ見るようになってます。心に映し出されたものにだけ反応するようになっているのです。
同じ人を見て、一人は優しい人だといい、一人はひどい人だという。
その違いです。

解釈も同じです。自分には必要だと思うか、必要ないと思うか。
人生のフィールドでの学びは、人と関わる事で、寸分の狂いなく学べるのです。

一分一秒常に変化しています。
今自分がどこにいるか、そしてそこから目指す位置までどのくらいなのか、把握することも大切だと感じた今日この頃です。



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来年から、勤めるサロンで、又、指導者という仕事を再開すること。
ブログタイトルで伝える仕事と書いたのは、指導者という言葉は近いのですが適切ではないと感じているからです。

自分でお店を始める前、私は、全スタッフ数50人程の大きなサロンで、役職を頂き、後輩たちの指導をまかされていました。
元々、責任感の強いタイプだったため、指導する仕事は自分に向いているとは思ってました。

しかし、人に任せることができなかった当時の私は、後輩たちが成長していく度に、仕事量も増え、結果全てがおざなりになり、疲れ果てたというようなものでした。

独立を決めた時、私は一切の指導を拒否しました。自分の時間の確保、
人の成長に関与しない、干渉しない。これはとても、楽な事でした。

大きなサロンにいた頃より、環境が180度違っていました。

そのままでも良いと思っていたのですが、人生とは日々変化していくもの、私たちの住む惑星も変化し生きているものだと感じてます。

そんな中、お話を頂いたのと、自分の決めた事、今後の目標が全てうまいことリンクしたのもあり、又、再開しようと思ってます。

ただ、昔の自身の指導者時代と違うのは、指導者でありながら、指導はしようと思っていないこと。
技術に関しては勿論指導する場面もあるかも知れませんが。
サービス業というものは、最終的には技術よりも人柄につきる。

そう思ってます。
私のいう指導者は技術を教える指導者とは少し違う。気付きを与えるサポートのようなものである。
ということです。

人は、この惑星に産まれた以上魂は全ての方が進化しようと思っているはずです。もうこれで、十分ということなど、生きてる以上はないのだと思います。次は転生しないことを望んでいる方はいらっしゃると思います。そこまでいかれてる方々を私は特に気にしていません。

私が気になるのは、ごくごく普通の人、宇宙真理に興味のない人。
興味がある方は、ただ知識を共有すればよいだけで、凄く簡単なんです。

でも見えてるものしか信じる事ができない方々は沢山います。
進化したいと感じている魂は、苦しみや悲しみ、怒りを自分に見せてくれています。それは誰もが気付く事のできる感情。そしてそれをどうするかは自分次第だと思います。

進化すれば、それは薄らぐものであり、気付いても向き合わなければ、平行線を辿るものであると思います。
ただ在るだけの域に達しても、周りの全てを自分の様に許せても、惑星にいる以上、個から集団のサポートをすることで、それはあなたと私のサポートになる。そして集団で進化する。ただ在るだけで終わってしまったら、そこにたどり着けない方々は、向き合わなくてもいいのか。そんな思いが私の変化としてやってきました。

だから私は、相手の尊重という土台の上に、技術ではなく、人生の気付きのサポートをしようと、決めたのでした。それは1から10まで、指導するのとは違う、日常生活に忍ばせるもの。そして結果は追わないに撤すること。

私は、ブログで知り合った亮然さんのブログを見るたびに(スマホからはタグつけれなかったので、私のコメント欄から探して下さい(/o\))ごく日常生活の事を書いてる中に私はいつも真理をみるのです。これで良いと私に気付かせてくれました。

もちろん亮然さんも意図してやっていると感じてます。教えるのではなく気付かせるというのが、私は愛だと思うのです。
それは歩幅は小さいかも知れませんが。必ず芽がで花をつけるものだと、信じて、ずっと続けてらっしゃる亮然さんに脱帽です。

私は、全てを受け入れ、ただあるがままでいいと理解できたら。それ以上なにもないと感じてました。

でもそれはまだ知らない我々と向き合うことから逃げたかったのかもしれません。

今日は熱くなりました~
読んで頂きありがとうございます。






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