1980年2月25日♪
『the CHANELS』
「ランナウェイ」でデビュー♪
働く勤労青年♪
京浜工業地帯が生んだスター☆
早いですね30年♪
もう30年も経っちゃったんですよ♪
自分はデビュー時20歳ですよ~♪
いろいろ有りました~・・・
なんて日記を元シャネルズの鍵盤?お笑い?担当の山崎様が書かれておりました。
山崎様はシャネルズ脱退後、横浜の後輩である横山剣(現クレイジーケンバンド)を誘い
ダックテイルズを結成。ダックでキーボードを担当することになったのは、札幌で
ハコバンやっていた時の先輩。「こんなバンドあるんだけどやらない?」
ただし、リーゼントにするのが条件!
ちょっと躊躇したのを覚えているけど先輩からの誘いなので、二つ返事でOK。おれ22歳の春。
池尻大橋の事務所に行ったら、なんとテレビで見たことある人がいらっしゃる。
山崎様でしたね。その時横山剣は、残念ながら知らなかった。クールスにいたらしいけど
スティーブガッド、ポーカロばかり聞いていた俺には原宿のロッケンローラーにしか
見えなかった。(失礼)
渋谷のエッグマンで華々しいデビューライブ。その後ツツミキョウヘイ、モリ ユキノジョウの
ヒットメーカー作によるデビューシングルのレコーディング。
当初事務所の方針でレコーディングはメンバーでやることになっていたので、必死に練習。
初のレコーディングスタジオへ。たしか信濃町のSONYスタジオだったと思う。
さっそくドラムセットのセッティング。師匠のボーヤやってたおかげで手際よく、搬入しセット
し終わる。スタッフから「慣れてますね。随分スタジオで仕事しているんですか?」と聞かれ、凍りつく。
録音の手順がディレクターから説明があり、オケの録音へ。
ヘッドホンからクリック音が聞こえてくる。
「はい、それではドラムさんのカウントで取り始めまーす」
「1.2.3.4!」
メンバーから演奏途中に「ストップ!ストップ!」「クリックにあってないぞ!」
全身から冷や汗・・・・・・
何回か演奏してディレクターから「おおあまでOK!」オケ撮りで1時間かかっちゃった。
スタジオ内は、いやーな空気感・・・・・
その後、メンバーで取ったオケにホーンセクションとパーカッションのダビングが始まった。
この録音はスタジオミュージシャンの方々が担当。
さすがに手慣れた感じで、ディレクターの数々の注文に的確に対応した音を次々と披露していた。
パーカッションのダビングに来たミュージシャンはなんと知る人ぞ知る「斉藤ノブ氏」。
ディレクターが突然調整室からスタジオに入りノブ氏に耳打ち。
俺に気を使ったのか、こそこそノブ氏に注文つけている。
でも、マイクオンになってるから調整室にかすかに聞こえてるんだぜ。
「今回のオケ、タイコがターヘーだから、リーノーがルイワーなんでよろしく」
このおっさんシバいたろかっ!
最後に剣ちゃんがボーカル入れて、完成。
レコードでこうやって作るんだね。
その後レコードの販売プロモーションのため、全国100カ所でライブツアー。
大変だったけど楽しかったね。
北は地元北海道から九州までありとあらゆるライブハウス、ホールで演奏したね。
そんな道中で四国の善通寺のライブハウスに到着したら、店の方から手紙を手渡された。
おっ俺人気出てきたじゃんとかのぼせ上って手紙を読んだら、あらら、なんとなんと
高校時代バンドをやっていた友人からじゃあーりませんか。
彼も大学に入り、バンドで演奏旅行をしていて、この店に貼っていたポスターでおれが
くるのを知って手紙を預けたらしい。ありがとうね。やなぎくん。
その後ツアーもおわりアルバムをレコーディングしたりと、わずか2年の活動だったけど
中身は濃かったっすね。グアム芸能人オールスター運動会も出たし。かずかずの芸能人
生で見れたし。
その後脱退して、都内の仕事をちょこちょこして、札幌に帰省。
メンバーの動向も今のようにWEBなんてないから、かぜのたよりで知るしかなかったね。
ベースのおねいちゃんが本田美奈子のバックやってるくらいで、他のメンバーは活動
中止していたのかと思っていたら、最近それぞれのブログでその後の状況を知りましたが
剣ちゃんなんかサラリーマンやってたんだね。横浜で。
ダックテールズもメンバー変えてやってたらしいけど長続きしなかったんだね。
でも山崎氏はいまだに勢力的に活動してるし、剣ちゃんは大活躍ですね。
このあいだNHKのSONGsでクレイジーケンバンドの特集やってましたね。
みなさんがんばってますね。あー25年たっちゃつたんだなあ・・・・・・・
おれもがんばらにゃ!