大阪で、大人の女性へ
色彩学教室【Color room yururi】主宰
 
 
3月13日からパタッとブログ、その他のSNSの
発信を止めていました。
ご心配して下さっている皆さまへ
近況報告をさせて頂きます。
 
 
SNSをお休み中でも色々と日々
ありますが、いつにもなく
だらだらと、ゆるりと過ごしています。
ほとんど毎日開いて使用していた
パソコンも閉じて、スマホも見る時間も
減らして、自分の身体に向き合う時間を
作っています。
元気です!とは正直まだ言えないですが、
ゆるゆると過ごしています。
 
 
 
さて、皆さんは、親子で手紙の交換をした事が
ありますか?
久しぶりにパソコンからブログを書いています。
 
 
 
幼い時は、
「おかあさんへ
いつもごはんを作ってくれてありがとう。」
なんて書いてたもんだなぁーと。
 
 
 
私も、この手の文章は、我が子からも
よく貰った。
 
 
でも、大きくなってきたら、手紙なんてもらわないし
渡すこともほとんどない
私も最後に渡したのは、結婚式の時かなぁー
 
 
後、父親には、お葬式の時に書きました。
(死んでからでは、伝わらないですが…。)
 
 
 
最近の私は、とにかく、仕事、娘のこと、
孫のこと、プライベートと忙しく、
母親の事は、ほったらかし状態。
母も忙しくしている私に気を使い、
お互いに連絡を取り合う事は、
していませんでした。
 
 
連絡がないのは、お互いに元気な証拠
なんて言いながら…
 
 
なので、全然会っていないし、話しても
していなくて
 
 
それが、私の緊急入院、そして、死の宣告
 
 
80歳の母には、何が何だか理解できない状態
だったと思う
 
 
最後になるかも知れないと、
せめて声だけでも…と電話した夜
(器具装着前に)
 
 
泣きもせずに、気丈に私を叱った母
 
 
私「もう、しんど過ぎて頑張れないかも。」と
 
 
「何を言っているの!昌枝は強いよ!
ものすごく強い!気力で治しなさい!
気力で何とでもなる!」と。
 
 
こういう時って、80歳でも母になるんだよね
母が強いよ!娘が死にそうでも、泣くことなく
気合いだ!っていうんだから。
 
 
でも、その母の𠮟咤激励のおかげも
あって、私は生きて帰る事が出来た。
 
 
退院後、80歳の母が、
「久し振りに手紙を書いてきた。
しかも横書きで。」と言って持ってきた。
 
 
 
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元々綺麗な字を書く母ですが、(先生では
ないですよ。)一時は、震えた文字だったり、
崩れていたけれど、一文字、ひともじ丁寧に
書いてきてくれた。
 
 
多くはない文章ですが、母から「頑張ったね」と
褒められるのは、いくつになっても嬉しい。
 
 
でも、その後には、頑張るなと、
(関西弁でいうと、どっちやねん!と、
ツッコミたくなりますが(笑))
 
 
 
こうして、私もばあばの身ですが、
心配してくれる親がいてくれる事は
幸せな事です。
 
 
 
 
ずっとほったらかし状態にしていた母の事
 
 
 
それが、今は、病院の付き添いに毎回
付き添って来てくれています。
周りを見渡すと、親の病院の付き添いに、
息子や娘がついてきているというのが
普通の光景ですが、私の場合は反対です。
 
 
80歳の母は、私が病気になって母に戻りました。
 
 
 
今は、こういう母と娘の時間を大切に
しようと思っています。
神様がくれた大切な時間
 
 
 
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診察後に、病院の最上階のレストランで
母と娘で同じメニューを食べた時間
きっとこういう一コマもいい思い出になる。
 
 
いつでも会える訳ではなく
いつでも声が聞ける訳でもなく
年齢も関係なく
 
 
だから、時々
連絡してみた方がいいよね。
親へ
 

 

自分の身体は自分だけのものではなく、

母が一生懸命生んでくれた身体

ありがとう。



こんな感じでゆるゆると過ごしてます。

 

 

 
ゆるり  澤田 昌枝