1977年のちょうど今頃、僕はジミー時田さんから弟子入りを許されました。
ジミーさんから弟子入りを許されるまでの約2カ月間、僕は毎週金曜日にジミーさんが出演していた新宿の『ウィッシュボン』(当時、新宿コマ劇場地下にあったカントリーの老舗ライヴハウス)に、自分の歌を吹き込んだカセットテープとそれをかけるためのカセットレコーダー、そして万が一、今夜歌っていけと言われたら、すぐさまステージに出られるようギターを持参して通いました。
が、僕の歌を聴いてジミーさんの反応は毎回、「You、ダメだねえ」の一言。
「歌もギターも下手すぎる!」「この世界では無理だな」「もっと音楽を知れ!」とも言われました。
それでもめげることなく、僕は歌を吹き込んでは毎週ジミーさんのもとを訪ねました。
そして、町がクリスマス一色に染まったちょうど今頃、ついにジミーさんから「負けたよ、お前の熱意には。俺は内弟子は取らない主義だから、外弟子としてお前を認めよう」と。
翌日、ジミーさんから僕のオフクロにも弟子入りを許可したという電話が入りました。
嬉しかったですねえ。40年以上も前のことだけど、今もあの時の“頑張り”を鮮明に記憶しています。
体力も体型もあの頃とは比べものにならない程、落ちましたが、熱意だけはまだまだ余力十分な61歳であります(^-^)
生涯ロカビリー
ビリー諸川











