下の子の成長に合わせてすっかり日々に追われています(毎日白目
)
自分時間の捻出が今の母最大課題です。
体調の波はありつつもおうちゃんは元気に過ごしています。
間も無くくるおうちゃんの大きな節目を前に
お久しぶりの今日は少し思い出話を。



6年前の春
nicu入院中に髄膜炎にかかり一命は取り留めたものの後遺症が残りました。
その時は命が助かったことがただただ嬉しくてホッとして。後遺症がどれほどのものかなんて、そこまで心配するほど頭も気持ちも追いついていませんでした。
先生から『お話』があると言われ、夫が単身赴任中だったのもあり『私1人でもいいですか?』と聞いてしまうくらい危機感がなく事の重大さがわかっていなかったあの頃の私です。
『お話』の日
ご両親で、と言われた時から、良くない話なんだなってことは察していたけど、通された個室のテーブルにはBOXティッシュが置いてあって。あぁコレを使いなさいってことか、そういう『お話』なんだな、と思ったのを覚えています。
見せられた真っ白になった脳の画像も病状説明も、全然スッとは入ってこなくて。先生何言ってるの?と頭はボーッとするばかりでした。予後は悪い、その言葉が繰り返されそれが何を意味するのかわからなくて。
ただ先生が最後に言った
『他の子と同じようにランドセルを背負って小学校に行くのはむずかしいかもしれません』
初めて出た具体的な言葉に、今までの病状説明が一気にリアルなものとして押し寄せてきました。
そういうことか…
その言葉をきっかけにこの先どうなってしまうんだろうと想像だけがどんどん膨らんで、ものすごい不安が襲ってきました。
『お話』が終わった後
夫と2人、病院の周りをぐるぐると歩いて回りました。何を話すわけでもなく、2人ともただ黙って、とにかく歩いて。お互い自分たちの中で整理するのに時間が必要だったのだと思います。1時間くらいそんな時間が続いて口を開いたのは夫の方でした。
なってしまったものは戻らないし前を向くしかない、と思った私に対して
無理に前を向こうと思わなくていいと思う。今は話を聞いて感じたことを素直に吐き出そうと言われ。ハッとしました。
その後病院の食堂で2人でわんわん泣きました。人目なんか気にしてる余裕はなく声を出して本当にわんわんと。
なんでおうちゃんなんだとか、本当は習い事はアレをさせたかったとか、友達の子とこんな遊びをさせたかったとか、結婚して普通の幸せをさせてあげたかったとか。それぞれが思い描いてた子育てを、言ってもしょうがないことを、ただただ吐き出しました。
今思えば出来ることも諦めなくていいこともたくさんあるのに、あの時は何一つ思い描くことはできませんでした。
涙とともに溢れて止まらない自分の言葉に、すぐに前を向こうとしたけど、やっぱり本当はショックで悲しくて辛くてしんどかったんだと。それに蓋をしようとしてただけだったのだと気付かされました。
ひと通り吐いたら、本当の意味でよしっ前を向こうと思えて。
今でも鮮明に思い出せる
思い出すとちょっと苦しくなる
そんな『お話』の日。
夫ははじめておうちゃんを抱っこした日だったかな
あの日から6年…



おうちゃんも春から小学生
晴れて特別支援学校に入学です。
療育のクラスのお友達と
通学カバンどうした?
ランドセル買いたいけどみんなリュックかなぁ?
もうすぐ卒園なんて寂しすぎるね
わ!書類多いね〜
なんて言いながらも
来たるその日を思うとわくわくが止まらなくて。
でも気を抜くとここまでの成長を思っていつでも泣けるくらい胸いっぱいで。
どっちがおうちゃんぽいかなぁ♡
なんて考えながら入学準備を進めたり
入学準備と称して
あ、これを機にアレも新調しちゃおうかしら♡
なんて。
毎晩楽◯のお気に入りリストが増えていくばかりです。今の母の一番の楽しみ☺️
こんな気持ちで入学を心待ちにできること
あの『お話』の日には全く、本当に全く、想像できなかった。
『他の子と同じようにランドセルを背負って小学校に行くのはむずかしいかもしれません』
あの時重くのしかかったこの言葉は
背負えないなら
バギーにかければいいだけだね⭐︎
おうちゃんがのびのび元気に通えるなら学びの場はどこだっていいね⭐︎
と軽くかわせるくらい母も強くなり笑
それだけのことだった。
それのどこに悲しいことがあるのか。
本当に本っっ当に色んなことを乗り越えて
ここに辿り着けたこと
そのこと自体が幸せで、誇らしくて
おうちゃんと歩んできた日々が
出会ってきた人たちとの日々が
自信になって
今はそんな風に思えるようになりました。
卒園式も入学式もまだこれからなのに今までを思い出しても、当日のことを考えても、どっちにしろ胸がいっぱいで。
今から想像でこんなんじゃ当日はどうなってしまうことやら。
きっと
ありがとうとおめでとうが止まらない
そんな春になるね
