water moon house

water moon house

how to be happy?

Amebaでブログを始めよう!

昨日、島田紳介の「行列のできる法律相談所」(?)で、「かわいそうな夫」(?)の一番を決める番組を見た。


実際にスタジオに来て、自分の連れ合いを罵倒して、頭を叩く女性まで出てきて、これって、逆(男→女)だったら、DVだ!!って、袋叩きだよね、と思った。


やっている彼女は、そんな自覚があるんだろうか?私的には、すごく不快というか、なんだかなあ、という感じだった。メディアに消費されているって自覚のもとにやっているなら、私が口を出すことじゃないけど。(きっとそうだと信じたい)


そもそも、「鬼夫」は袋叩きの対象だけど、「鬼嫁」がわれわれ大衆が公の場で笑うことができる大前提は、「女性は所詮、男性にとって絶対的な脅威にならない」という、暗黙の了解があるからだ。


強い「鬼嫁」なら、是非、そこ点について、戦ってほしい。「私たちは、本当の意味で脅威なのよ」と見せ付けてほしい。




ダメ男ならさっさと捨てればいいし、捨てられないならとことんいい男にする努力をすればいい。


この場合の「いい男」は、大成功する自分に疑いなく尽くし続けてくれる、という選択肢も含めてね。


でも、そうなると、メディア的には面白くないのか。




昔々、著名な女性ピアニストに取材したことがあった。今でも大変活躍されている方だ。そのご主人は、芥川賞を取られた作家。私も若いときに、わくわくしながら、彼の作品を読んだ記憶がある。


彼は、ある時点(かなり早い時期)から一切作品を出していない。投機や投資といった活動以外には表立って職業を持っていない。


一方、奥さん(という言葉が当てはまるかどうかは別として)は、1時間の公演が100万円という芸術家。


でも、こういう関係もありかなあ、と。作品を書かなくなった当初は、いろいなところで、「ヒモ」とか言われていたに違いない。


でも、彼らは、35年間、「夫婦」なのだ。


それが、私たちがこの言葉からイメージするものからは遠く離れていたとしても。


彼女の才能が、彼の才能の開花を妨げたのではないか?という外野の声があったとしても、そういう形もありえるのだ。いいか悪いかを決めるのは、私たち外野ではない。


そもあれ、元芥川賞作家は、どういう理由であれ彼女の元を去らず、一般的に見れば彼女の黒子でい続けているのだ。




何か自分の中にあるのではないか、と思う「鬼嫁候補」になれる女性なら、このピアニストくらいの意識を持っていてもいいんじゃないの、と思ったわけで。


安易に「鬼嫁」とか言われている場合ではないんじゃない、と。メディアに消費されている場合じゃないと。


でも、当の策士・島田紳介氏は、そんなことをわかっていながら、「私たち」のレベルを知っているから、ああいう番組を作って、視聴率を稼ぐんだよね。


そのあたりは、別の意味で勉強になります。

ここ数日、胃の激痛に悩まされている。


胃が痛いだけではない。背中の上半分が固まって、痛い。横になって背中を伸ばすと、何回に一回かボキッと凝りが鳴る。


この痛みで、夜、目が覚める。一旦目が覚めると、痛みで眠りに戻れない。


布団に入って5分以内に寝て、目覚ましが鳴るまで寝ることが普通の私には、この状況は辛い。どんなに長くベッドの中にいても、寝足りた感じが持てない。


私の胃痛は、胃の出口の辺りにあるらしい。胃の左半分をギュッと握られている感じが続く。通常は、左を下にして寝るのだが、そうすると痛みにプレッシャーがかかるらしく、痛みが強くなる。


右を下にして、胃を広げるような感じで寝ると、痛みが和らぐ。痛みが和らぐと、体全体が緩む感じがする。背中がこんなに凝り固まって痛いのは、胃の痛みのせいかもしれない。


そして、胃の痛みが和らいで、背中が少し緩んだ感じになると、今度は肘と足の裏に指すような痛みがあることに気がつく。


大きな痛みがあると、痛点が敏感になって、どこまでも痛みに追いかけられるのだろうか。。


体に痛みがなくて、意欲満々である自分の状態を、こんなときには思い出すことができない。




知り合いの編集者の女性が、突然の胃痛に襲われて、病院に行ってみたら、末期癌だった、ということがあった。数ヶ月で亡くなってしまった。


私はもともとひどい胃炎があって、胃カメラを2回も飲んだことがある。そこでは、胃潰瘍になることはない胃炎だと診断させている。今度も、同じ胃炎で、癌ではないだろう。


それでも、ここまで痛みがひどいと、彼女のことを思い出してしまう。彼女も、こんな風に胃が痛かったのだろうか。


彼女は、最初に一緒に仕事をしたときに、私の書いた原稿を書き直してほしいと言った。彼女のいうことは最もだった。どちらかというと、最初のコミュニケーションミスだった。でも、書き直して、良いものになったと思う。癌が発見されたのは、その直後だった。その仕事が最初で最後となった。



母も昨年癌で亡くなった。母も、こんな風に痛みと戦っていたのだろう、と思った。顔や言葉には出さなかったけれど。痛みにのた打ち回りながら、私は母に、もっと何かできたのではないか、もしくは、してはいけないことをしたり、言ったりしたのではないか、と考えてしまう。そして、ますます眠れなくなる。



この話を連れ合いにしたら、すごく悲しそうな顔をされて、そして、怒られた。胃カメラでチェックしろと。

おっしゃ通り。


それにしても、痛い・・・。 






昨日、随分前に離婚した人とお昼を食べた。


先月、地下鉄の駅で偶然会ったのだ。私がその駅で降りるのは、年に数回あるかないか、だ。

そういう流れなのだろうと思って、今度お昼を食べようということになった。


と書くと、劇的な再会!といった感じに聞こえてしまうが、実は彼とは、ここ5年くらい、年に1~数回、お昼を食べる。別れて10年くらい経ってから、結構仲がいい。


彼はお酒を飲まないし、お互いの友情のために家族を不愉快にするつもりはまったくないので、会うのはいつもお昼。


彼と話をするのが、とても面白い。思いもかけない角度からボールが飛んでくる感じなのだ。しかも、ミットに収まってみると、結構それがストライクだったりする。


若い頃には、彼のよさがよくわからなくて2年くらいで離婚してしまったけれど、今、彼と話をするたびに、20代前半の私は、自分の好みが無意識にわかっていたんだ、と思う。


ただし、友達としての好み、が、なのだけれど。。(だから、今は別々に生活をしているわけで。)



おそらく、みんなが当たり前のことを当たり前に思えない彼と話をしていると、面倒くさくなる人も多いんじゃないかと思う。「もういいやん、そんなにうがった見方をしなくても」と。


それに、「こんなこと言ったら、常識人にみられないかも」と、ある程度社会的地位を得た人がかけるようなブレーキを持っていない。一歩間違えたら、あやうい。


私は、そういう人と話をするのが、好きなのだ。




今日、フランス人俳優の、ジョン・レノを特集したDVDを観ていたら、彼もそんなところがあることに気がついた。


レオンを観て依頼のファンだけれど、そんな風に彼を考えてみたことがなかった。


ただただ、顔は好みじゃないけれど、何かセクシーだなあと思っていたのだ。


インタビューへの受け答えが、少しづつ斜めから返ってくる感じ。映画人としての生活と自分の人生はどっちが大事、という質問に、


もちろん人生。映画の中には本当に人生などないし、そもそも、人生は誰かに頼まれて生きるようなものじゃない。そんな人生を映画と比較できない。自分の人生があるからこそ、映画がある、といったことを答えていた。


ファン受けをしようと思ったら、自分の人生と映画は切っても切り離せない、映画があるからこそ、自分の人生がある、くらいのリップサービスをすればいいのにね。


その答えを聞いて、しびれてしまった私は、口当たりのいい格言っぽいことを簡単に口にする人が好きじゃないんだ、と気がついた。




最近、仕事関係でお会いして、「こういう人にメンターになってほしい」と初めて思った人も、そういえばそういう人だ。




なるほど。だから、若いときの恋愛は、何かとごたごたしたことが多かったのかもしれないなあ。



そして、私の周りのそういう人々は、男性であることが多い。それは私の同性のとの人間関係の作り方の拙さゆえなのだろうか。