
ビックボブ君「自由の国アメリカvs規律とルールの国北朝鮮。幸せな国はどちらか。
ドラえもんやサザエさんに出てくる登場人物達は、さながら
アメリカでの日々を過ごしているようなものである。
社会というものを隔離して人生を生きていく事が出来る。
インターネットは社会そのものである。
社会が常に身近にあると、人は理性を鍛える事が出来る。
プライベートの中に常に存在する社会。それがインターネットである。
しかし。社会生活とプライベートでの生活とが完全に分離するようになると
人は理性を鍛えるという事が出来なくなる。
感情が担当している事。それは自由である。
自由を作り自由を愛する。それが感情の役割なのである。
理性が担当している事。それはルールや規律を作りルールや規律を守る
という事である。
自由には因果応報が伴う。
理性が行く着く最終的な姿は独裁国家である。
国民はルールや規律に則り人生を生きる。
日本は住みづらい国になったのは理性が発達し始めたからである。
国や国民の中に理性が発達し始めた。
社会生活以外にプライベートにおいても社会と接する機会というものが
出来た。
プライベートにおいて接する社会。それこそがインターネットである。
理性の対極にあるもの。
それは動物的な考え方や生き方である。
確かに。昭和の日本は動物的な考え方や生き方が奨励されていた。
しかしその事が日本での住みやすさや、文化面や日常での喜びを生み出していた。
ポリコレは理性である。
差別や区別は感情である。
フグ田サザエや野比のび太の人生か、それともホリエモンやひろゆき(2ch元管理人)のような人生か。
規律とルールにより管理されているホリエモンやひろゆきの人生は幸せか。
感情により支配されているフグ田サザエや野比のび太の人生は幸せか。
規律やルールは安全、安心、利益の保証などをもたらす。
一方で、感情は人生を幸せなものにする。
動物のように一生を生きる人生は幸せか、それとも不幸か。
かつての日本は幸せだった。誰もが動物のように生きて動物のように日々を楽しみ生を謳歌して
生きていた。
だが、人は、理性により長寿になる事が出来る。
理性により日常生活において健康面で食べ物などの節制をする事が出来、健康になっていくからだ。
そういう意味ではアメリカ人よりも北朝鮮人の方が長寿になる可能性は高い。
日本において自殺者数というものは年々、減っている。
これはどういう事かというと、人々の理性が発達してきているという証明である。
と同時に、規則やルールにより住みづらい国になってきているという証明でもある。
人は過酷な環境下にあればあるほど、生存本能が刺激される。
人には自死本能という本能は無い。
一生アメリカ人として生きるか。それとも一生北朝鮮人として生きるか。
どちらが幸せな人生か。
日本は残念ながらどんどんと北朝鮮化が進んでいる。
一生、動物のように日々を生きて動物のように日々を楽しむか。
それとも、一生、北朝鮮人のように規則やルールに縛られて生きるか。
日本人は一生、動物のように日々を生きて動物のように日々を楽しむという事をかつて、
人生においての最大の幸せという風に位置付けていた。
人の心の大部分を支配しているものは無意識(潜在意識)である。
無意識(潜在意識)は感情を司っている。
一方で、意識は理性を司っている。
規律やルールにより喜ぶのは意識である。
しかし動物のように日々を生きて動物のように日々を楽しむという事を喜ぶのは
無意識(潜在意識)である。
昭和の日本も平成の日本(1990年代~2000年代の日本)も、人々は、動物のように日々を生きて動物のように日々を楽しむという事を人生の目的に定めていた。
ゆえにその頃の日本というのは住みやすかったし、楽しくもあった。
昔の日本は住みやすかったし、楽しかった。
その理由は。規則やルールが緩かったから。
プライベートの中にインターネットが無かったから。
インターネットという社会がプライベートの中にあるか無いかで
人生というものは大きく変わってくる。
インターネットがプライベートの中に無ければ理性というものは育たたない。
理性が育たないのは良い事か、悪い事か。
それは昭和の日本と令和の日本とを比較してみれば分かる事である」
クラウドハヤト「俺は断然。アメリカかなあ。自由って。素晴らしいよね」


イシワスム「インターネットの負の側面。確かにそれはあるかもなあ」

愛佳「プライベートの中に社会が無い方が。幸せになれるというのは。それはそうかもね」