チンポの話をする時。
冒頭からこの書き出し、何事かと思われた方もいらっしゃるやもしれんが、タブー無きジャーナリズムを旨とする私である、このテの話にも鋭く斬り込んで行きたいと思う。

取り直して、チンポの話をする時、私は落ちんこむ、もとい落ちこむ。

以上、終わり。

そう、これだけ。
言葉選びのタブーもさることながら「話題に挙げたことはそれなりに長い文を書く」という文字数のタブー(いや礼儀と呼ぶべきか)をも破ってしまったが、これぞ私の理想とするジャーナリズムであり、言うなれば、皆様の心に敷かれた道路へ、セットバックガン無視で塀をおっ建てる、そういう姿勢なのである。
閑話休題。
過日、私は中高時代の後輩のFacebookアカウントを見つけてしまった。
彼は日記で、大学時代から今に至るまでを、本名で、ありのままに晒していた。
そっとしておけばいいのに、東アジアきってのストーカー気質は、四年分のそれを読破させた。
書き始めは大学三年時。
当時の彼は浮かれていた。
浮かれポンチを超えて、浮かれチンポだった。
そう、冒頭はここに結実する。
彼はチンポであり、私はそのチンポの話をしている。
彼がどうチンポだったか。
髪を金に染め、どう贔屓目に見てもチャラい、チャラさのストップ高、チャラさの青天井、チャラさの臨界に達した浮かれ具合で、クラブ(もちろんこれは西巣鴨将棋クラブみたいな同好会を意味するものではなく、呑んで踊れるバーみたいなあれである)にて男女数人と騒ぐ様子を収めた画像をこれでもかとアップしていた。
そのくせ、ある時はちゃっかり母校に訪問し、お世話になった先生が退職するので寂しいなどと殊勝なことも書いている。
んで、海外旅行したり、またクラブで騒いだり、よくわからん俳優の等身大パネルと記念撮影したり、またクラブで狂喜乱舞したり、あれこれあって大学をキッチリ楽しんで卒業し、きーちんと就職していた。
就職してからも、友人との集まりはそれなりに続けていて、友が友を呼ぶその繋がりは今や多岐に渡っており、その数は300人を越していた。

負けた。

あまりにはっきり負けたので、ミントガムのように爽やかな敗北感だった。
部屋の窓を開けると、すっかり秋めいた涼風が頬を撫でた。
そっと呟く。
どう見ても私の負けだよ、これは。
去年の下半期からは全文英語で書かれてるし。
私はタブレットで読んでいたのだが、勝手に日本語に翻訳されてしまったから原文はわからない。
「私はそれを強く楽しんだ糞が!」
小学生が英和辞典引いたようなレベルの翻訳、文中にFuckがあることだけは解る。
そんで、その日記に対し、アメリカ人が、
「私はそのあなたを素晴らしいと思う糞が」
とコメントしている。
糞と糞のコミュニケーション、異人種が繋がるにはそれもアリか。
お互いを尊敬しているからこそ、糞と言い合えるのだろう。
言うなれば、空想の糞だ。
私が人から糞と言われる時は、文字通り字義通り糞と思われているから言われるのであり、その点は後輩との決定的な違いであろう。
いやむしろ、人がどうこうの前に、私は自分で自分に糞と言いたい。
とりあえず十回言おうか。

糞糞糞糞糞糞糞糞糞糞…

「じゃあここは?」
「ヒジ!」
「ブッブー!答えは糞でしたぁ!」

そんなゲームも楽しみつつ。
エコ運動推進のため、スーパーはマイバッグ持参を啓蒙しているが、マイファックを持参するのがこの私である。
糞だな、やはり。
彼は浮かれて遊んで、その実、社会で一番大切なコミュニケーション力をきちんと養い、就職した。
大学生活を無駄にしなかった。
浮かれチンポは、きれいに剥けた。
それに比して、私は真性包茎の皮を引っ張り片結びしてバルーンアートでプードルを作るかのように何度もひねりねじった有り様であり、どうしようもない。
こう言っては何だが、私は真面目な人間である。
最近は、よく安保法制のことを考えている。
日本はアメリカとある程度距離をとって自主独立しなきゃならないのに、今より同盟関係を強めるとは何たることだ!
そんな怒りも覚える。
しかし、いやいや待ってよと。
日本の前にお前が自主独立してないじゃないかと、誰かの声が聞こえてきてしまう。
もちろん、私はしっかり税を納めている市民であるから、政治問題に怒る資格はあろう。
住民税が服着て歩いてるような男と呼ばれた私である、お歳暮に所得税を贈るのを定着化させた私である。
国の舵取りが間違っているなら、水夫となって船を支えることもヨシであろう。
しかしながら、拭い去れない違和感。
童貞が得意気に男女論を語るかのような、身分不相応な感じ。
やはり、彼のように学び遊び働き、その上での怒りでなければ、身の丈に合わない。
「剥かない人間が剥き身について語っても、皮が歯に当たるだけである」
意味解るようで滅茶苦茶な文だが。
つまり、私は。
これから一個人として、仁王立ちでもって地に足着けて、そこから考えたいなと、そう決意したのだが、糞が便器の向こうへと押し流されるように、シュルシュルとやる気が無くなり、書く意欲も萎んだので、この辺で。