Audrey Hepburn
1929-1993年没
「ローマの休日」でハリウッドでビューをし、一気に人気になりました。
デビュー作品にしてアカデミー賞を受賞した作品でもあります。
アンネ・フランクと同い年のオードリー。
第二次世界大戦中、オードリーの母は地下で反ナチス運動をし、オードリーは看護婦として各地を回っていたそうです。
アンネのことを知った時彼女はとてもショックを受け、アンネ・フランクの映画に出ないかとの誘いを「悲しすぎるから」と断りました。
こんなにもエレガントで美しく、人々の羨望の的となったオードリーですが本人は自分の顔がコンプレックスでいつも「わたしは美しくないわ。マリリン・モンローのように女性らしくもないし」と嘆いていました。
当時時代は、最後のロングドレスが終わったくらい。
マイ・フェア・レディのあの、ペッグ・トップ・シルエットが終了し、ポール・ポワレやココ・シャネルなどが服飾史を塗り替えようとしているちょっと後です。
そんな時代に現れたオードリーは、ほっそりしたスタイルと短髪で「まるで少年のような魅力」と称されたんだけど・・・もしかすると本人はミステリアスでグラマーな女性に憧れてたのかも。
まさに無いものねだり。
オードリー様・・・世の中には持たざる者のほーが多いんですけど。
可憐という言葉がぴったり。
少し皇太子妃雅子さまに似てませんか~?
彼女は語学に堪能で、英語・フランス語・イタリア語・スペイン語を操ります。
実はバツ2のオードリー。
子育て中は、うるさいほどやってくる映画の出演オファーを全部断ってたんですって!!
晩年は1993年に亡くなるまで、ユニセフで活動し、恵まれない人たちのために力を尽くしました。
本物の天使のような女性です。