そもそも仕事は楽しいものか、または楽しんでやるべきものなのか?
やる気の有無が仕事の成果においてその品質が上下するものであっていいのか?
そんな質問がお客様先の新卒社員からありました。
私は「仕事に楽しいとか楽しむなんていう感情は持ち込むことはないし、
やる気(モチベーション)の有無や高低によって仕事の成果が左右されるべきではない。」
と答えました。
※今思えば、時代に沿った回答をすべきだったのかもしれない。
例えば、
「もちろん楽しんでやるものだし、仕事は楽しいもの、プライベート等の事情や会社の体制が原因でやる気が起きず成果が上がらない時もある。会社も社員も一緒になって楽しんで仕事をする方法や、やる気が湧く仕組みを考えることが必要」etc、、、。
理由は私自身もサラリーマンで20代の頃は仕事は楽しむものだし、楽しいと思えない仕事はしたくないと考えていた時期もあったから。
そこで改めて考えました。
本来、仕事とは「楽しむ」または「楽しい」ものなんだろうかと。
考察したので、メモも兼ねて以下に記していこうと思います。
≪結論≫
仕事は「楽しい」とか「楽しむ」なんていう表現を持ち込めるようなものではない。
仕事とは昔も今も変わらず、生活そのものであり、我々は仕事を通じてこそ報酬を得て、
生き続けることができる。
仕事を続けることができない、それは死を意味する、または第三者からの
援助なくしては生き続けることができなくなる。
もし今が原始時代だと考えれば、なぜ上記のような結論に至るのかは想像が
しやすいと思う。
当時の人々の生活といえば、男性は猟に出て食用となる獲物を「命がけ」で獲ってくる。
女性は木の実を採取したり、畑を耕し野菜を育て、その日の食事を作る。
これが仕事だったと思う。
つまり仕事=生活だったということ。
そんな生活=仕事という前提において「楽しい」という感覚があったとは
どうしても考えられない。
しかしながら、「達成感」はあったと思う。
例えば大物が獲れたとか今年は豊作だったとか。
その時はみんな笑顔で喜びを分かち合い、宴という形でお祝いをしたんだと思う。
これがいわゆる「楽しい」という部分だったのではないかと感じる。
現代の社会においての同様の例として、ある営業チームが真剣に仕事に打ち込んだ結果、
目標達成した際、いわゆる飲み会を開催して大いに盛り上がっている光景に似ている。
上記のように考察すると、やはり仕事=楽しいということはなく、
仕事の成果に応じて達成感を得て、その達成感を組織で共有した時、
人は仕事というものをポジティブに捉え、いわゆる「楽しい」や「嬉しい」、
という感情を持つようになるのではないだろうかと思う。
いつの間にか仕事=楽しくあるべきといった考えを持つ人が多いようですが、
その原因は人にあるのではなく、マニュアルとか標準化といった仕組みに起因する