オシムの言葉
バブルがはじけた頃、東京新宿のあるクラブに入り浸りだった。いろんな人種が集まった。若い頃に北朝鮮に行った者、理科系の理屈っぽい学生、フリーター、大企業サラリーマン・・・自己主張の強い、クラスに1人しかいないようなユニーク人々。そして国際都市東京に集まった世界中から来た人達。みんな、思い思いの議論を楽しんだ。北朝鮮討論会、ユーロ通貨統合討論会・・・時代は激動の時代。大企業の倒産、ドイツ統一、ソ連崩壊、ユーロ統合、そしてユーゴ紛争・・・ユーゴスラビア紛争は毎日ニュースになり、国境がどんどん変わっていく。一体どうなっているんだ。誰かユーゴについて整理して説明してくれる人はいないか。ある日、日系ボリビア人とカウンターで、スペイン語で話し込んでいると、スラッとしたブロンドの女性が入ってきた。 "何でこの人達は訳のわからない言葉で話してるのかしら。" ゾラナ、新ユーゴスラビアのセルビア人、ベオグラード大学日本語学科卒。別の日には大学の先輩、ブランカが登場する。なぜ、セルビア人とクロアチア人は争い、国が分裂するのか聞いてみた。話せば長い複雑な歴史。長年南半分をオスマン・トルコが、北半分をハプスブルク家が支配していたことから始まった云々。「私達は学校では、みんなスラブ人ですと習ってきました。ユーゴスラビアは南スラブ人の国という意味です。」実際には、コソヴォ自治区やマケドニア共和国にはアルバニア人が多く、マザーテレサもマケドニア今共和国出身のアルバニア人だ。「クロアチア語もセルビア語もとても似ています。でも、ある日、クロアチア人は、私達はクロアチア人だと主張しました。そこで、じゃぁ、私達はセルビア人よと主張し始めて・・・」「それって、ひょっとして阪神ファンと巨人ファンのケンカに似てるの?」「そう・・・」「・・・」でも、当時はクロアチアと新ユーゴとの内戦は終わり、内戦は旧ユーゴスラビアの一部「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ」内の局所的紛争で、ベオグラードは安全だと言う。ブランカが仲間をコンサートに案内した。東京の下町神楽坂の小さなスタジオ。そこにいたのは、旧ユーゴスラビアの国民的歌手ヤドランカ。かつてサラエボ・オリンピックでも歌を披露した。ボスニア・ヘルツェゴヴィナの中心地サラエボ出身。日本に来ている間に内戦勃発。旧ユーゴスラビアのパスポートしかなく、ボスニア・ヘルツェゴビナのパスポートを持たない彼女は、帰国できない。なかなか帰れず、日本語を流暢に話すまで滞在する結果となった。 8分の7拍子の幻想的なマケドニア地方の歌を歌う。気さくで情の深い人々であることが歌からも感じられる。ヤドランカとブランカは友人どうし。 それからブランカと仲間達は食事をしたり、新宿の訳のわからない、やかましいディスコで踊ったりして遊び、ユーゴについて教えてもらった。しばらくするとブランカがいつものクラブに来なくなった。どうしたんだろう。と、ある日、テレビを見ていると、とんでもないニュースが飛び込んできた。 NATO軍によるベオグラード空爆。 コソヴォ自治区のアルバニア人弾圧政策をする新ユーゴ大統領ミロシェビッチに抗議するクリントン大統領のアメリカ主導によるもの。ブランカの消息は不明・・・ ボスニア内戦が終わってから、案内が来た神楽坂のヤドランカの絵画個展に行った。(彼女は絵画にも才能を発揮する。) ヤドランカがいた。「ブランカがどこにいるのか知ってる。」「あぁ、ブランカは旦那さんの仕事でミュンヘンにいるわよ。あの空爆の時もミュンヘンにいたから無事よ。eメール教えてあげましょうか?」「いえ、結構。eメールでよろしく伝えておいて下さい。hvala(ありがとう)」 10数年後、サラエボ出身のイビツァ・オシムがサッカー日本代表監督になった。彼の発する言葉が話題になる。「ライオンから逃げるウサギが肉離れをしますか。準備が足らないのです。」肉離れをおこした選手に対するもの。ただ、彼が言う時、それはもっと重みがある。かつて、油断していて、時代の兆候を敏感に感知せず、ヤドランカと同じパターンで、家族と別れ別れになった経験を持つのだから。
近くて遠い国2
韓国から帰国の為、金浦空港に降り立った。
当時はまだマンモス空港、仁川国際空港はなく、ここ金浦空港も賑わいがあった。
出発まで、まだ時間がある。コーヒーでも飲もうか。
しばらくして、搭乗券を入手しにカウンターに並んだ。
メガネをかけた若いお兄さんがパソコンのモニターにむかってカチカチ打ち込む。
と、あっという顔をして顔を上げた。
「ありません・・・」
「えっ?」
「搭乗券ありません・・・」
飛行機はチケットを購入後、乗る直前に席を決める搭乗券をもらう。
通常はチケットと搭乗券は1対1で対応する。
しかし、この頃A航空は業務のパソコン化が遅れており、ダブル・ブッキング(1つのチケットに2つの搭乗券を割り当ててしまうミス)がしばしばあったとか。正にそれにはまってしまったのだ。
日本行きの他の便はないのか確認したが、全て満席とのこと。
明日は仕事のアポイントメントがある。ピンチだ。
空港中を走り回り、各航空会社に問い合わせた。
韓国語と日本語と英語とチャンポンで問い合わせると、韓国語と日本語と英語とチャンポンで答えが返ってくる。
いずれも全便満席とのことだ。
(・_・;)
ただ、大韓航空に空き便あるかも知れないという。
場所は、第2ターミナルで、バスで行かなくてはならない。どうしたら行けるのか、たまたま近くにいた掃除のおばさんに聞いてみた。
神様助けて…
あせっているうちに韓国語のコンハン(空港)とハンゴン(航空)がごっちゃになって、つい、「えっと、なんだっけ…」と日本語を発した。
次の瞬間、
「助けてあげましょうか?」
(・_・)エッ....?
それは天使の声に聞こえた。
声の主は韓国人の女の子。日本人旅行客相手にガイドの仕事をしているという。助けて下さい、お願い致します。
彼女は携帯を取り出し、航空会社を片っ端からあたってくれた。
その中で、1便だけ仙台経由の日本行きの飛行機があった。それは、全便満席と言い張ったA航空だった。
さぁ、搭乗まであと30分だ。急げ!
当時はまだマンモス空港、仁川国際空港はなく、ここ金浦空港も賑わいがあった。
出発まで、まだ時間がある。コーヒーでも飲もうか。
しばらくして、搭乗券を入手しにカウンターに並んだ。
メガネをかけた若いお兄さんがパソコンのモニターにむかってカチカチ打ち込む。
と、あっという顔をして顔を上げた。
「ありません・・・」
「えっ?」
「搭乗券ありません・・・」
飛行機はチケットを購入後、乗る直前に席を決める搭乗券をもらう。
通常はチケットと搭乗券は1対1で対応する。
しかし、この頃A航空は業務のパソコン化が遅れており、ダブル・ブッキング(1つのチケットに2つの搭乗券を割り当ててしまうミス)がしばしばあったとか。正にそれにはまってしまったのだ。
日本行きの他の便はないのか確認したが、全て満席とのこと。
明日は仕事のアポイントメントがある。ピンチだ。
空港中を走り回り、各航空会社に問い合わせた。
韓国語と日本語と英語とチャンポンで問い合わせると、韓国語と日本語と英語とチャンポンで答えが返ってくる。
いずれも全便満席とのことだ。
(・_・;)
ただ、大韓航空に空き便あるかも知れないという。
場所は、第2ターミナルで、バスで行かなくてはならない。どうしたら行けるのか、たまたま近くにいた掃除のおばさんに聞いてみた。
神様助けて…
あせっているうちに韓国語のコンハン(空港)とハンゴン(航空)がごっちゃになって、つい、「えっと、なんだっけ…」と日本語を発した。
次の瞬間、
「助けてあげましょうか?」
(・_・)エッ....?
それは天使の声に聞こえた。
声の主は韓国人の女の子。日本人旅行客相手にガイドの仕事をしているという。助けて下さい、お願い致します。
彼女は携帯を取り出し、航空会社を片っ端からあたってくれた。
その中で、1便だけ仙台経由の日本行きの飛行機があった。それは、全便満席と言い張ったA航空だった。
さぁ、搭乗まであと30分だ。急げ!
近くて遠い国
あれは、真夏の済州島。
濃くて透き通った、柔らかくてダイナミックな波。
ゴーギャンの絵のような、神が創ったとしか思えないこの島をたつ時が来た。
飛行機は空席が多かったようで、エコノミークラスの料金で、ファーストクラスの席を案内された。
機内では、韓国人スチュワーデスが日本語で僕に挨拶する。
僕の顔は日本人っぽく見えるようだ。
隣の席に渋谷によくいそうなラフな格好の青年がドカッと座った。
「東京」とプリントされたTシャツに、ヒザまでの半ズボン、クツ下はなくスニーカーの踵を踏んで、ソニーのフォークマンを聞いていた。
日本のどこかの大学の学生がブラッと韓国旅行でもして来たのだろう。
大股開きで座るこの青年が、機内で妙なことをしないように祈るばかりだ。
彼が荷物を上にあげようとしているのをふと見ると、緑色の「KOREA」と書かれたパスポート
を持っていた。
韓国人か・・・でも、日本人みたいな顔をしているな。
やがて、スチュワーデスが彼に日本語で話しかけ、彼が自分は韓国人だと説明した。
ちょっとしたきっかけから、彼から話しかけてきた。
日本語は、ペラペラだ。
彼の名はMIRO。アメリカの高校でついたニックネーム
かつて日本の高校に交換留学生として来日。
以後、日本オタクとなる。
「韓国で日本文化が解禁になったのは、わずか1年前、でも韓国ではSMAPのチョナンカンは誰でも知っています。」
目を輝かせて話す。
ヨン様ではないが、その純粋な感想は王子様のため息のようだ。
日本での冬ソナ・ブームの話等、静かな機内の2時間、2人のノンストップ日韓文化討論のみが響き渡った。
時代は確実に変わっている。
着陸。
彼が成田空港に立った。
「あぁ、今は表札もハングル標記なんかもあるんですね・・・」
王子様の為にご用意しておきました。
近くて近い国へようこそ・・・
濃くて透き通った、柔らかくてダイナミックな波。
ゴーギャンの絵のような、神が創ったとしか思えないこの島をたつ時が来た。
飛行機は空席が多かったようで、エコノミークラスの料金で、ファーストクラスの席を案内された。
機内では、韓国人スチュワーデスが日本語で僕に挨拶する。
僕の顔は日本人っぽく見えるようだ。
隣の席に渋谷によくいそうなラフな格好の青年がドカッと座った。
「東京」とプリントされたTシャツに、ヒザまでの半ズボン、クツ下はなくスニーカーの踵を踏んで、ソニーのフォークマンを聞いていた。
日本のどこかの大学の学生がブラッと韓国旅行でもして来たのだろう。
大股開きで座るこの青年が、機内で妙なことをしないように祈るばかりだ。
彼が荷物を上にあげようとしているのをふと見ると、緑色の「KOREA」と書かれたパスポート
を持っていた。
韓国人か・・・でも、日本人みたいな顔をしているな。
やがて、スチュワーデスが彼に日本語で話しかけ、彼が自分は韓国人だと説明した。
ちょっとしたきっかけから、彼から話しかけてきた。
日本語は、ペラペラだ。
彼の名はMIRO。アメリカの高校でついたニックネーム
かつて日本の高校に交換留学生として来日。
以後、日本オタクとなる。
「韓国で日本文化が解禁になったのは、わずか1年前、でも韓国ではSMAPのチョナンカンは誰でも知っています。」
目を輝かせて話す。
ヨン様ではないが、その純粋な感想は王子様のため息のようだ。
日本での冬ソナ・ブームの話等、静かな機内の2時間、2人のノンストップ日韓文化討論のみが響き渡った。
時代は確実に変わっている。
着陸。
彼が成田空港に立った。
「あぁ、今は表札もハングル標記なんかもあるんですね・・・」
王子様の為にご用意しておきました。
近くて近い国へようこそ・・・
