去る令和六年甲辰五月十日(金)午前四時四十一分
母は敗血症による多臓器不全にて永眠致しました
行年八十歳
最期の一息、心臓が止まる音も聴診器で聴きながら在宅で看取りました
最期の二週間は感染による高熱が下がらず、抗生剤の点滴で治療も次第にSpO2低下の為、酸素吸入も5Lに至り、日を追うごとに意識レベル低下、前々日より努力呼吸、前日より尿量減少と下顎呼吸になりましたので側に張り付き声を掛け続けました
臨終後は昼過ぎに健康長寿医療センター研究所、高齢者ブレインバンクに搬送
三時より献脳と病理解剖を済ませました
認知症、神経難病克服社会を目指し、医学研究に貢献した母を誇りに思います
思い返せば三月卅一日
母が八十歳の誕生日を迎えた日に神戸の旦旦(爽爽)さんが亡くなり
五月十日
旦旦(爽爽)さんの公式お別れ会が開かれた日に母は亡くなりました
母も旦旦さんも共に晩年の病苦も含め、苦労した生涯であったことも重ね合わせて見ておりました
偶然では有りますが、日付に奇縁を感じます
大好きなお母さん
最愛のお母さん
居なくなってしまった
介護し足りない、やりきった感が無い
不完全燃焼です
まだまだ介護がしたかった
でも、お母さんにとっては苦しく辛い病から解放された
涅槃寂静
今生に生きるすべての煩わしさから解脱し密厳淨土に往生したのだから喜ばなくてはいけないんだけど
眞言宗の法儀に準じて枕経、炉前読経、収骨読経と私が勤め、遺骨に、虚空に話し掛けるが、肉体が失くなった喪失感は埋められない
何をやっても楽しくない
寂しいです