上賀茂神社から↓の道を歩きます。

この道もすきです。

普通の道に入ってもずんずん進みます。


ここはいつも静かです 。

小鳥の声しか聞こえない。



誰も居なかったので
思い切り深呼吸しました。

13日に母の喪があけての翌日から

永年勤続でいただいた三日間のリフレッシュ休暇。


一年間神社参拝は自粛してたので

早速近所の氏神様にご挨拶m(__)m


その足でまた一心寺さんへ参拝。


そしてそのままドヒューンと京都へ。


母と毎年初詣に行ってた上賀茂神社と太田神社へ

ご挨拶に行って来ました。


そしたら上賀茂神社の紅葉が見頃を向かえてました。





奈良の小川の紅葉↓

境内の外↓



思わぬ紅葉狩りでした。

怒濤の一年でした。


一年前の今日

母は逝ってしまいました。


見つけてくれたケアマネさんから電話をもらい

必死で自転車飛ばしました。


ケアマネさんが言うには

前日の夜遅くに母からの不在着信があり、

気づいて電話したら出ないので

様子を見にきてくれたそうです。


意識がなくすぐ救急車呼んだけど手遅れでした。


私が着いたときは

孤独死ということで

警察の方々来てました。


色々調べられて

遺体はすぐに警察へ連れて行かれました。

すぐ病死と判断されました。


ケアマネさんをはじめ、

母の友達も、

最近調子悪そうなのに気づいてました。


とにかく引っ越しがあったので

終わったらすぐ病院へと

ケアマネさんたちは考えてくれてたそうで、

引っ越しなんて気にせず病院へ行ってればと

後悔されてました。


親不孝な私が一番わかってなかった❗

ちよぅどその二週間ほどまえに大喧嘩してしまい、

母を傷つけてしまいました。

でもいつものごとく

またすぐ元に戻って

あの日は引っ越し手伝いに行くね❗

と約束してました。


ほんとは前日も夜勤明けそのまま行くつもりが、

母が心配して

「夜勤で疲れてるやろ、今日はゆっくりねなさい。

大丈夫だから。明日ね。」

これが母とかわした最後の会話です。


そしてあれからとんでもないこともわかり、

あちこち走り回り、

ホントに書ききれないほど

大変なことばかりで、

中々泣けなくて

前に記事に書いたことありましたが、

ホントにおかしくなってました。


ただ叔母から言われたのは

「お前はお母さんとの絆が深すぎて

   耐えられないのでは?と母が思い

   色んな大変なことを置いといて

   泣く暇ないようにしたのかもね。」


今となっては私もそう思います。

まだまだ折に触れては

涙が溢れます。


後から色んなことを知りました。

いつも文句言って別れると言っていた父のこと

ほんとはすごい好きだったんだと

母の友達から聞いてわかりました。


母の再婚相手で血のつながらない父ですが、

母の遺骨とともに父の遺骨も

うちに連れてきて

一緒に一心寺に入れました。


今は仏壇もなく、線香もない

私の家で

母の写真と並べて飾ってます。


すみません😢⤵️⤵️
すごく雑です。
よくわからなくて


一心寺のろうそく、

四天王寺の亀の池流しも

母だけでなく父の分もやってます。


事情で実家の中は全てそのままで

遺骨だけもってはなれました。

その事情は薄々感づいてるかたもおられると思いますが、改めてまた記事にします。


このとき置いてきた母の財布の中に

一枚の古い写真がありました。

子供のころの私とまだ若い母が写ってました。

しかし写真の真ん中辺りが白くはげててボロボロ。

そのときはきづかず置いてきましたが

しばらくして気づきました。


母が私のところを

何度も何度も指でなぞった跡だということを❗


喧嘩したときもそうだったのかと思うといたたまれません。

しかし確かに私は愛されてた!

これだけでこの先も頑張れる

そう思います。


朝から長々すみませんでしたm(__)m