第一話



第二話 【再会がもたらすもの】

「いらっしゃいませ~」

小さな小料理屋のカウンターで週3回のアルバイトを始めたのは、もう3年以上も前になる。
本来なら向こう側のカウンターに座っていた筈の私が、今ではもてなす側に居るなんて、3年前には考えられないことだった。

「ミエちゃん、お通しお願いね」

明るい声で私に声を掛けるのは、この小料理屋を仕切っているママ。私はこの明るくて気さくなママに惚れ込んで、この小料理屋の常連客になった。
ママには何故だか不思議といろんな話が出来た。
ママに話を聞いて貰うだけで、その日の疲れだったり、悩みだったりが嘘のように私の中から消えていった。

「はい。ママ」

3年前、私は長年連れ添った男性と離婚した。高校2年と中学3年の娘を連れ、私は家を出たのだ。
もう、離婚する数年前から結婚生活は破綻していた。その理由のひとつは、主人の浮気。しかし、結婚して十数年も経っていて、愛だ、恋だと浮かれている関係ではなかった為、自分の不甲斐なさを責めながらも、私なりに繕ってやってきた。
娘たちはうすうす気づいてはいるようだったが、私の繕う姿を見ていたからだろう…
私を気遣いながらも、娘たちは娘たちなりに家族の絆を取り戻そうと必死になっているようだった。

しかし、その生活に突然、終わりがやってきた。
終わらせたのは私…
衝動的なようだったが、家を飛び出した日の私は至極冷静だった。
愛する娘たちが成人するまでは、何がなんでも必死に働いていこうと固く決心していた。
大切な娘たちを守っていく為なら、自分が頑張れば何とかなる…そう思っていた。

だが、世間はそう甘くはなかった。
長年、働いてきた事務職の給料だけでは、親娘3人が生活していくには厳しいのが現実だった…
しかも、シングルマザーになったとは言え、私ももう50歳に手が届く歳。
とても若いとは言えない年齢だ。
体力だって年々、衰えていくのが実感できたし、世間の同情はこの歳になると皆無だった。

家を出る時にこっそりと貯めておいた貯金も底を尽きかけていた頃、少々、自暴自棄になりかけていた私は、暫くご無沙汰だったママのいる小料理屋へ足を向けていた。

「あら~、ミエちゃん。久しぶりやないの!どうしてたん?」

店の暖簾をくぐってママの顔を見た途端、今まで押さえ込んでいた感情が一気に吹き出し、私の頬は涙の河になっていた。

「あらあら、どないしたん…ミエちゃんらしないなぁ~」

そう言いながら私をカウンターに座らせ、店が終わるまで私の話を何にも言わずに聞いてくれたのだった。

「…ミエちゃんさえいいんやったら、ウチで働いたらええわ」

「え?ここで?」

「毎日とは言わへんよ。でも、下の娘さんの高校受験もあるんやろ?お金はあったに越したことはないんやから。ミエちゃんやったら、特別に時給上げたる!」

ママはニッコリと笑って私にそう言った。もう、お客のいない居酒屋のカウンターで、隣に座るママは「どうよ?」と私に詰め寄ってきた。
あまり人付き合いがいいとは言えなかったが、仕事だと思えばなんとかなるかも知れない…
ママの顔を見ていたら、そんな風に思える自分がいて不思議な気持ちになった。
ご馳走されたビールを一気に飲み干して、私はママに感謝の気持ちを込めて頭を下げたのだった。

「あら!いらっしゃい。藤枝さん!…もう、ご無沙汰やんか!」

ママの声で私は休めていた手を再び動かし始めた。
藤枝さんもこの店の常連で、思い立った頃にふらりとやって来る。顔見知りの客が来ると何だか安心してしまうのだが、今日の藤枝さんには連れがあり、私は頭を下げただけに留めておいた。

暫くしてから手隙になった私に藤枝さんが声を掛けてきた。

「ミエちゃん!東京からお連れしたよ!」

さっきママにも同じような挨拶をしていたことを思い出し、「そうなんですか?」と返事をしながら東京からの客人に頭を下げた。
顔を上げて初めてその人の顔をまじまじと見つめる。私の目に映ったその人は、私の遠い記憶を徐々に呼び覚ましていく。

「私、見たことある!」

思わず私の口を吐いて出た言葉に東京からの客人は呆気にとられた顔をしていた。
私の顔を見ては「またまた、口うまいなぁ!」と訝しげに答える。

「…幸田のひと違う?」

その言葉がついに彼を半信半疑にさせた。驚いた彼の口から高校、中学、小学校に至るまでの昔話が次から次へと溢れ出てきた。私は体はそのままに、心だけはあの頃に戻っていくような錯覚を覚えていた。

「私、いっこ後輩やし…」

「ホンマかぁ?騙してるんと違うよなぁ?」

東京からの客人、田村さんは私の小・中学校の時の先輩だった。高校は田村さんの後にできた新設校だったけれど、私の埋もれそうになっていた記憶の中に、田村さんだけはしっかりと脳裏に焼き付いていたのだ。
その後、少し田村さんの仕事のこととか聞いていた。
ただ、フラッシュバックする私の心、そして思わず我に帰り口に出た言葉が、客商売を忘れて。

「先輩! 帰っておいでよ!」

その後も、好でお酒のアンコールしてもらい、会話のキャッチボールも弾んで、何度か
(帰っておいでよ)と無意識に発していた。

三十五・六年ぶりの田村さんとの、偶然とも言える再会が、頑なになっていた私の心を変えていくきっかけになるとは、この時にはまだ、私自身も気付いていなかった。





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