ちょっと詳細プロフィール 【やると決めたらとことんやる、京大を自主退学までしたFP】
こんにちは、大葉龍和です($・・)/~~~独立系FP(ファイナンシャルプランナー)FP育成の専門家お金の専門家セミナー講師会社経営者・・・と、イロイロな肩書を名乗っていたりしますが、FP業を始めるまでの背景として僕自身のプロフィールのご紹介を( ..)φメモメモお金という考えに振り回され・支配される学生時代だった僕の親は僕とはジャンルは違えど、自営業でず~っと商売をやっています。子供ながらに記憶があるのは鍵っ子だったのと、親の商売の調子(稼ぎ)次第で家庭環境が激変するという学生時代の印象です。記憶にある一番古いものが、小学校高学年から中学時代。父親が仕事先でケガをしてしまい、数カ月まともに仕事が出来なかった時です。学校から家に帰っても、お金のことで親がケンカをしており、親の機嫌がマックスで悪い場合は「何で帰ってきたの?」「いや、ここが家だから」という無意味な虚しいやり取りを何度かしていました。当時は、お金が足り無い=不幸になるお金がある=幸せになれるという考えが一番自分自身の人生観で大事になってしまっていた時期でした。そのため、お金を極力かけずに稼げる仕事に就くことが人生のテーマとなり、中学1年生の時から「お金を稼ぎやすい仕事に就くためだけ」に勉強をしていました。学年1位でないと自分の生きている意味が無いとまで思い詰めるくらい、お金が全てを支配していたように思える学生時代でした。人生の転機となった、1点差で落ちた大学受験高校も公立の進学校に進み、お金を極力かけたくない(かけれない)ので、私立大学への進学は選択肢に無く、国公立大学1本に絞って受験しました。中学時代に、先生かテレビの影響なのか「稼げる仕事は医者・政治家・弁護士」というナゾの思い込みを発動していたのですが、医者=そもそも学費が高い政治家=当選までにはコネやお金が必要そうなイメージということで、消去法で3つの仕事のなかで、一番お金をかけずに済みそうなイメージがあった弁護士を目指しました。国公立大学の法学部=京都大学の法学部という高校生の頭では最も良いだろうと思う選択をして、いざ、受験。合格する気マンマンだったのですが、結局、1点差(正確には1.25点差)で落ちました。結局、1点差で大学受験を失敗したことが人生の転機・キッカケとなり、自分の人生を変える恩師と出逢うことになるわけですが、、、やっぱり長くなりすぎるので、さらに詳細を読もうと思ってくれた心優しい方は、こちらをごらんくださいm(__)m