bigajoのダッチワイフ芸の極み

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何も考えずに素直に綴ります。

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今回は昔懐かしい半ズボンの歴史について書きます。


1970年代後半、当時の日本の小学校では男子生徒の暴力行為に悩まされていました。
イギリスの学者ジョン・ハワード・ザ・ダックが「男子小学生の暴力の根底には休み時間のドッジボールが楽しすぎて上がりすぎたテンションを吐き出す為に肩パンチやデコピンという行為に及んでいる。」という研究結果を発表したのを受け、当時の日本政府はドッジボールを禁止する法律を作ります。
一時は収まりをみせた暴力行為ですが、再び暴力行為が広がっていきました。 その背景には警泥があったのです。
小学生達は政府を嘲笑うかの如く法律の目を掻い潜り新しい遊びを作ることを繰り返すので、いたちごっこになってしまっていたのです。

そんな中、島根県のある小学校の新米教師 長田 勤(25) は先輩に連れられランジェリーパブに来ていました。こんな時に不謹慎な先輩だと思いつつも、自らの若さを押さえられない事に若干の後ろめたさを感じながら目線をチラチラと艶かしいホステスの太股にやっていました。その時彼の中に激しい衝動が沸き起こりました。ムチムチした太股を叩きたくてたまらなくなったのです。

翌日彼はクラスの男子のズボンを足の付け根ぐらいで切り落としてしまいました。男子達は突然のことに驚きつつも
次第にいつもの暴力的な顔つきに代わり始めました。
しかしいつもと様子が違いました。露になった太ももをはたき始めたのです。確かに痛みはあるものの肉や骨へのダメージが無い為、皆キャッキャと楽しそうにはたきあっているではありませんか。一人の子がしゃがんだ時に大事なものがはみでたのを見て皆は腹がよじれんばかりに爆笑しました。
こうして瞬く間に全国にズボン切りは広がり、ついには子供服メーカーが商品化し爆発的なヒットとなりました。こうして小学校からは暴力行為が無くなり、あのスマートなフォルムの半ズボンだけが残ったのです。


今若い女性が太股を晒して街を歩いているのは性的アピールでは無いのです。争いの絶えない世の中を平和にしようというメッセージが込められているのです。