弘前公演の仕込みと本番の合間に、青森県美術館シアターで、アレコ一輪車のリハーサルをみさせていただいた。
冒頭に近いBGMでひく、導入としては、チームの紹介のために、多少の驚かせと、出し合おしみした1輪車技術を期待感に結びつけようとした結果とおもう。
音質の悪さと、音源のだささで、悩む。我慢しなければいけない状況が予測されて不安になる。が、台詞が気持ちよくさりげなく現代に通じる大衆の愚かさへの批判がなされ、
おのれがこの未知の物語をどう見るかの姿勢を決めることができて、くいつく要素たっぷりなので、つかつはなれずにすむ。
ドビュッシーのピアノで、はまる予感。美しい。身体の動きは音楽とシンクロするものだという実感。月の映像は、バックの壁いっぱいにクレータがさわれるくらいに大きく投影してもよかったかな。
音響は最悪。音量でおとの迫力をだしたい気持ちがてにとるようにわかるが、要は、音圧がない。シアターにはバスロウはなかったっけ。
音としては、スパニッシュ系の音源が一番チームには似合っていた。もっとペルシャとか要は、ベリーダンスやアンダルシアのスパニッシュに近づいていったらいいと思う。
ドボルザークの景で、三グループに分かれて台詞を語るのは、秀逸だった。それぞれの人数もほどよく、主役の動きも美しいアンサンブルになっていた。なにしろ語られる言葉群が教科書のようにお約束の内容で、これは形式美といってもいいくらいに。
ここでも、音質の悪さが半減どころかマイナスになっていたが、野津さんのジプシー然とした存在感と、語る哲学と、愛憎劇と、みているうちに妙に懐かしい感慨が湧いてきた。幼少時にいっていた映画館、小便くさく、たたくとほこりがでる椅子、つくろったあとが何箇所かにあるスクリーン。
上映中も客の出入りがあるために、一本を暗いなかで全部みることが不可能な映画館。スピーカーから聞こえてくる音は常に割れていて、音量の大きいときには、ことばも識別できない。
ロビーでは、中身がみえないくらいにくすんでしまったガラスの箱にうっている体に悪そうなお菓子群。そこでなにかを買おうとしても、店員は世間話に夢中で
こどもの相手なんかめんどくさくてやってられない。そういった映画館がわが水沢市にも3館あった。邦画が専門と、洋画が専門と、なんとなく役割分担はしていたようだが、
夏の暑いとき、秋の寒空、春にも冬にも映画館に足をはこんだ。一体なにがおもしろかったのだろう。その思い出が、目まぐるしく滑りまわる1輪車をみていてよみがえってきた。
雑としてがらんとした娯楽の殿堂。
床が白いので、ときには床あてをおもいきりきらって、一輪車の浮遊感をこだわってだす場面があればおもしろかった。
バックの壁が黒いという点も、人物が少数のときは、永遠に続く暗闇のような効果があってよかったが、大半は黒い壁がうるさかった。
うそでもいいから、バックをもっと重視すべきだった。ムービングで後半で、バックにあてたが、遠慮しすぎで、逆にめまぐるしい変化に閉口した。
光過敏症の人間は、発作を起こさなかっただろうか。あれぐらいの刺激がないと納得できない人たちなのだろうか。照明は、一曲ずつ独立した見世物として変化を手探りするあまりに、全体の緩急がない印象になってしまっている。バスロウがあって、
音響にひたれる環境であったなら、許される範囲ではあっただろう。
一番おもしろいと感じたのは、終局で、主人公たちの1輪車が回収される場面。気持ちのこもった動きで、感動した。

冒頭に近いBGMでひく、導入としては、チームの紹介のために、多少の驚かせと、出し合おしみした1輪車技術を期待感に結びつけようとした結果とおもう。
音質の悪さと、音源のだささで、悩む。我慢しなければいけない状況が予測されて不安になる。が、台詞が気持ちよくさりげなく現代に通じる大衆の愚かさへの批判がなされ、
おのれがこの未知の物語をどう見るかの姿勢を決めることができて、くいつく要素たっぷりなので、つかつはなれずにすむ。
ドビュッシーのピアノで、はまる予感。美しい。身体の動きは音楽とシンクロするものだという実感。月の映像は、バックの壁いっぱいにクレータがさわれるくらいに大きく投影してもよかったかな。
音響は最悪。音量でおとの迫力をだしたい気持ちがてにとるようにわかるが、要は、音圧がない。シアターにはバスロウはなかったっけ。
音としては、スパニッシュ系の音源が一番チームには似合っていた。もっとペルシャとか要は、ベリーダンスやアンダルシアのスパニッシュに近づいていったらいいと思う。
ドボルザークの景で、三グループに分かれて台詞を語るのは、秀逸だった。それぞれの人数もほどよく、主役の動きも美しいアンサンブルになっていた。なにしろ語られる言葉群が教科書のようにお約束の内容で、これは形式美といってもいいくらいに。
ここでも、音質の悪さが半減どころかマイナスになっていたが、野津さんのジプシー然とした存在感と、語る哲学と、愛憎劇と、みているうちに妙に懐かしい感慨が湧いてきた。幼少時にいっていた映画館、小便くさく、たたくとほこりがでる椅子、つくろったあとが何箇所かにあるスクリーン。
上映中も客の出入りがあるために、一本を暗いなかで全部みることが不可能な映画館。スピーカーから聞こえてくる音は常に割れていて、音量の大きいときには、ことばも識別できない。
ロビーでは、中身がみえないくらいにくすんでしまったガラスの箱にうっている体に悪そうなお菓子群。そこでなにかを買おうとしても、店員は世間話に夢中で
こどもの相手なんかめんどくさくてやってられない。そういった映画館がわが水沢市にも3館あった。邦画が専門と、洋画が専門と、なんとなく役割分担はしていたようだが、
夏の暑いとき、秋の寒空、春にも冬にも映画館に足をはこんだ。一体なにがおもしろかったのだろう。その思い出が、目まぐるしく滑りまわる1輪車をみていてよみがえってきた。
雑としてがらんとした娯楽の殿堂。
床が白いので、ときには床あてをおもいきりきらって、一輪車の浮遊感をこだわってだす場面があればおもしろかった。
バックの壁が黒いという点も、人物が少数のときは、永遠に続く暗闇のような効果があってよかったが、大半は黒い壁がうるさかった。
うそでもいいから、バックをもっと重視すべきだった。ムービングで後半で、バックにあてたが、遠慮しすぎで、逆にめまぐるしい変化に閉口した。
光過敏症の人間は、発作を起こさなかっただろうか。あれぐらいの刺激がないと納得できない人たちなのだろうか。照明は、一曲ずつ独立した見世物として変化を手探りするあまりに、全体の緩急がない印象になってしまっている。バスロウがあって、
音響にひたれる環境であったなら、許される範囲ではあっただろう。
一番おもしろいと感じたのは、終局で、主人公たちの1輪車が回収される場面。気持ちのこもった動きで、感動した。


