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「パリ・イエスタデイ」ジャネット・フラナー著 宮脇俊文訳を読んだ。

ジャネット・フラナーが隔週で「ニューヨーカー」誌に寄稿した「パリ便り」から編集された本。1925年からの寄稿文で、この時代、パリは芸術家、作家などが集まり、新しい思想・運動が生まれていた。シュルレアリスムの活動についても細かく書いてある。

 

国際化されていなかったこのころのパリは、数世紀前の建物が立ち並び、閑静な街並みだった。1920年代初頭にアメリカ人たちが押し寄せ、賑やかになっていった。著者の文章には信じられないほど豪華な文豪の名前が登場する。「アーネスト・ヘミングウェイ」「エズラ・バウンド」「T.S.エリオット」「フィッツジェラルド」などの文豪がこのころパリを拠点に活動していた。

 

1926年のオークションでは、ルオー、マティス、ルソー、スーラの絵画が登場し、今では美術館所蔵となっている絵画が取引されていた。同年、クロード・モネが亡くなっている。豪華な芸術家たちの名前に驚くばかり。

 

1928年、モンマルトルの「ラパン・アジール」という酒場が閉店。ピカソはこの店で初めてキュビスムの考えを公表した。

 

戦後独特の生きるエネルギーを感じる時代。皆政治に怒り、友の死に直面し、文学、舞台を含む芸術を生み出す力が頂点へ。日本にも狂気を感じるエネルギッシュな時代があった。今でも語られる文学、芸術、技術が生み出された時代。

 

美術展の図録に出てくる名前や文学史で知った名前が、その時代を共に生きた人(ジャネット・フラナー)の言葉で綴られ、幻想だと感じていたことが事実なのだとわかる。ダダイズムとかシュルレアリスムとかムーラン・ルージュとか、こんなドラマチックな世界は存在するの??と神話と同じ感覚で距離を置いていた時代説明の文章が心に響く存在になった。

 

1939年の「パリ便り」まで編集に含まれるが、この頃になるとまた新たな戦争の影がせまる。。。。。