-物質主義による弊害性-1
あの1945年の終戦後、戦争に負けた日本人は、それ以前に心の根底にあった価値観が破壊されてしまったので、その失った心の穴を埋める為にアメリカ型の物質主義に傾倒していった。
ここで言う失った心と言うのは、自然を根幹として形作られた、全てのものが同一であるという"和"の思想体系の事である。
日本の国旗を見ても分かる様に、あの国旗は和を表現しているのである。
たとえ対立している者でも、それらが一つの自然であって、ただ単に自然の摂理に過ぎず、寧ろ必然的だと丸く収めてしまうのが日本人特有の考え方であり、粋な誉でもあった。
しかし明治以降になると、それらが少しずつ変化していってしまう。
ご存知の通り文明開化の時代は、諸外国からの外圧と、それに呼応して高まった近代的道徳や国家機構建設などの内圧的な理由により、それまで"全"とさて振る舞っていた日本人の価値観は、いつの間にか昭和に入ると"個"に少しずつ傾倒していったのである。
つまり個人主義の台頭によって、物質を契約によって所有するという価値観が生まれ、それまで誰のものでも無かった自然という体系を、文明的な理由により個々人が強く所有する事になったのである。
資本主義を導入した事により、新規市場開拓の為に外国に植民地を築いた方が良いと考えた人々は、その延長線上に発生する太平洋戦争へと舵を切って行くことになる…。
ここで日本人の価値観は、戦争をする前後で大きく変わってしまった。
戦争で焼け野原となった都心部は、それまで木造だった家屋が焼夷弾によって完膚なきまでに破壊され、ただでさえ都会に少なかった緑の木々などの自然が、全て焼き尽くされてしまった。
戦後それまで日本人の底流に流れていた自然は、ズタズタに破壊された街並みと共に消滅した。
日本人は何とか新しい希望を見出そうと、空間的な広がりを持つ新しい価値観-つまりは人々の根底に物質が存在し、それを元に人が行動するという唯物主義論を積極的に取り入れたのである。
戦争のトラウマを一刻でも早く消すまいと、日本人はそれまでの過去を覆い隠すかの様に、凄まじい速さで物質を生産し国家を建て直した。
これが最もよく現れているのは、高度経済成長期である。
アメリカ型の大量消費社会は、無骨で肌を刺すような冷たさを感じる鉄筋コンクリートとアスファルトで日本中を覆い隠してしまった。
確かに日本は発展した。しかし同時に失うものは必ず存在する。
物質を生産したのは良いが、余りにも多くのしかも合理的に造られた物質を生産した為、人々は一つ一つの物質を愛せなくなり、一つのものを消費すればそれを捨てて次から次へと欲しい物に手を出す様になった。
高度経済成長期の日本の道路を見ると分かる通り、結構なゴミが無造作に捨てられている場合が多かったのである。
街並みは人々の心情やら状態を表していると言うが、まさにその通りなのが理解出来る。
まだ1970年台に入っても、おおよその日本人の家庭は、それまでの伝統的風土性をある態度保っていた。
しかし社会の全てを飲み込む資本主義経済の足跡が、仕事だけでは無く生活の場にまで浸透してくるのは、もはや時間の問題であった。
次回は迷走する日本人と、一人歩きしてしまった経済について語ろうと思う。