どうしてさみしいと思うのか?
ん。
物心ついたころから「さみしい」感覚はあった。
幼稚園にいたころから「ひとり」という感覚はあった。
さみしさを忘れることが出来たとき
ん。
なにかに夢中になれたとき。
誰かに恋することができたとき。
「不安」と「後悔」と「孤独」が揃ってやってきた。
まともに立ち向かうのか
無視して逃げ出すのか、
うまくかわして「不安」「後悔」「孤独」と仲良くなるのか。
「不安」「後悔」「孤独」は
わたしを構成する三大柱になっている。
三大柱のうしろには
「悪魔みたいなエゴ」がたぶんある。
より過剰な「不安」
より深刻な「後悔」
より真摯な「孤独」を
探して、
それと「わたし」を比べて、「まだマシだわ」と思いたい自分がいる。
「悪魔」とは
西洋文明からきている概念なのかな?
たとえば
仏教では「悪魔的」なものをどう表現しているのだろう?
このごろ
仏教は「異文化」なのだと考えるようになった。
「異文化」というか
「外来文化」だと。
曼荼羅。
おもいきり異文化なワード。
ならば
日本独自の「宗教」とは何だろう?
というか
私にとって日本は「母国」なんだろうが
とても敷居の高い「異世界」なのではないか?
では
私にとって真に居心地のよい文化とは?
そんなものあるのか?
私にとって「わたし」が最大に居心地悪いのではないか?
考えても答えのないことを考えるのは「ひま」だからです。
うつ、
発達障害、
過食等、経てきた過去からひねり出した一行を
もう一度自分に言い聞かせる、
考えても答えのないことを考えるのは「ひま」だからです。
お金の計算でもしよう。
その方がよほどメンタルにいい。
ふう。
前の職場に返さなくてはいけない物があったので
その件でメールを出してみた。
担当の人が
ものすごく「気をつかった」返事をくれたので
「ざっくばらん風」を装い
親しげとも用件のみともとれるメールを返した。
それに対しての返事はまだない。
気分転換したいな。
からだ、悪くしちゃったのがいかんかったなぁ。
でも今日はそんなに痺れていないから、よしとしようか。