粗筋
……そう。これは私が死んでしまう四日前の光景。

あの雨の日。大学からの帰り道。突然の交通事故で、想い人に想いを伝えられないまま息絶えてしまった「私」の瞳に映ったものとは――!? “死(エピローグ)”から始まる物語。

 
正直に告白しよう。実は表紙のイラストを描いているhukeさん目当てにこの本を手に取ってしまった。それ故、あまり真剣にこの物語を読もうとしていなかったことを否めない。「切ないですね」で括り終わらせてしまったような気がしてならない。しかし、それは飽くまで“気”に留まっておいてならないのであって、つまり僕はこの物語の不思議な文法に後々気付く。
 この物語は中盤、若しくは最後まで読んでも、著者の些細な遊び心――これが後々痛切に感じさせられる文法なのですが――に気付けないと、正直面白くはないです。平らな道程を辿るようで淡泊。読み進めることが苦となるまではいかないですけれど、決してページを捲るのを止められないようなドキドキハラハラするような物語ではない。それは、この物語のプロローグでありエピローグでもある「私」という人物の“死”が大前提として存在することに起因しているのかもしれないですが、特に少年漫画のような劇的な最後――この場合“最期”と直したほうが良いのかもしれませんが――は存在しません。
 初読後、というか読んでいる最中に感じた違和感で、「私」が死んで彼岸に往くときにオカマ船長率いる海賊船に乗っているのですが、何で海賊船なの? と思ってしまいました。ふつう“彼岸”や所謂“あの世”に往くときは、僕のなかではもっと劇的な――例えば天使が降りてくるとか、眼前に巨大で荘厳な門が在るとか――妄想というか、イメージがあったので、まさか海賊船で“あの世”に向かうなんて思っていなかったですし、おかしいとさえ感じました。
 それが不思議な文法――つまり「私」、山上沙代子の深層心理とは気付かずに。

 ***

 私は沖の方へと振り返り、もう見えないくらいまで小さくなってしまった誰も乗っていない×××××を指差した。
 彼は私の指の先を、険しそうに目を細めて見た。その時に彼の目の周りにできた皺を見て、私の胸の中にすまない気持ちがじわりと広がった。
 しかし、彼は私の方に向き直ると、いつもの優しい表情をして、私の頭を何度も撫でながら、「ちゃんと戻ってきてくれてよかった」と、胸を撫で下ろすように言った。
 私は彼に泣きながらごめんなさいを繰り返した。
 自分の涙粒がぽろぽろと波の上へ落ちるのが見えた。
 私と彼の二人の足元を、夏の終わりの波が行ったり来たりしていた。

 そして、私は私の中を落下していった。
 大学へ入ったばかりの頃の、将来に対してまだいろんな希望や期待を胸に抱えていた時の感覚。一人暮らしを始めたばかりの頃の、興奮するような、だけどちょっと不安で、実家が恋しくなるような感覚。そんな折、ネットで偶然見つけた、あるゲーム。そこで知り合ったみんなとの楽しい日々。

 そして、私は私の中を更に落下していった。
 高校の頃の記憶。中学の頃の記憶。その時々での友達との記憶。悲しかった記憶。嬉しかった記憶……。 

 そして最後に、私は私のおわりの底に優しい音をたて、どぷんと落ちた。

 ***
 
 最初にこの物語の感想を書いたのがTwitterで、たしか『“きっと誰もが涙する、せつなさ100%の物語”というのは若干過大広告のように感じられる。他にも主人公の女の人が別路を辿るような肢があるのではないか。』とか書いたと思うのですが、過大広告云々の前半部分は強ち間違いではないと思います。泣けるような要素はあるけれど、そこまで琴線に触れるような台詞もない。ただ、後半部分は読後暫く経ってからじわじわと痛切に感じられます。他の選択肢を選ばなかった――選べなかった――からこその、結末。そして重ね重ねで申し訳がないのですが、著者の海賊船を使った意図に気が付いたときは声になっていない声を上げていたと思います。
 
 冬の日に結露した窓に頬をあてているような、そんな優しい読後感。