映画「あの花の咲く丘で」を観た。こんなあらすじである。

(1)


百合は高校三年生。卒業後の進路について鬱屈がある。成績も良いし、本当は大学に進学したいのだが、家庭の収入はそれを安易に許さない。母子家庭で、母が朝から深夜まで懸命に働いてくれてはいるが収入はわずかだ。それを思うと大学進学は贅沢すぎる、わがままな望みではないか、とてもそんな余裕はない、就職が自分には似合っている、そんな葛藤があるのだ。母は、大丈夫、蓄えはあるから、死んだお父さんだってあなたの大学進学を心から望んでいたのよ、そんなことを言ってくれるが、とてもそんな甘えたことは出来ない。百合は苦悩の日々を送っている。


ある大雨の夜、進学をめぐって母と口論となった。百合は思わず心無いことを口走ってしまった。お父さんが勝手に死んでしまったから私たちはこんなみじめな状況に追いつめられたんじゃないの!


百合の父親はある時水に溺れようとした子供を救おうとして、子供を救った代わりに自分が溺れて死んでしまったのだ。お母さんはその父親のことを誇りに思っているが、百合は割り切れない。他人の子供は救われてそれで良かったかもしれないが自分たちはおかげでこんな貧乏を味わわされているのではないか、お父さんは余計なことをしてくれた、ばかだ・・・


百合はお母さんと口論して大雨の中外の飛び出してしまう。さ迷い歩いているうちにとある洞窟に入り、疲れ果てて眠り込んでしまう。その時落雷があり、強烈なエネルギーで時空がゆがみ、タイムスリップが起こった。

目覚めると、時は1945年、昭和20年の6月にワープしていた。街は特攻出撃基地を抱えていた大昔の姿に戻っていた。

何故か百合は空腹で疲れ果てた状態で、道端に倒れこんでしまった。ふと気づくと自分を見つめている若者がいた。若者は百合に水筒の水を飲ませてくれ、百合の腹ペコに気づくととある食堂に連れて行ってくれた。そこは陸軍指定の食堂であった。優しいおばさんもいた。美味しいご飯を食べさせてくれ、おまけに、うちを手伝ってくれんねとまで言ってくれるのだった。百合はそこで働くことになった。

食堂には若者たちがやってきた。みな軍人である。会話の端々から彼らが特攻隊員であることがわかった。百合を介抱して食堂に連れてきてくれた若者、佐久間彰もその一員であった。佐久間は早稲田大学の学生で、哲学書を読むことに生きがいを感じているようだった。優しいまなざしをして百合をじっと見つめてくれる佐久間に百合はなぜか心のさざ波を感じるのだった。

ある日、佐久間は百合を誘って白百合の花の咲き乱れる丘に連れて行ってくれた。百合は一面に咲き乱れる白百合の丘に深い感動を覚えるのだった。佐久間はこの丘に咲き乱れる可憐で美しい白百合は同じ名前を持つ君と同じようだと感じてくれているのだった。佐久間は言うのだ。僕には故郷に妹がいる、とてもかわいい妹だ、君を見ると妹を思い出す、妹は僕のことをアキラって呼ぶんだ、君もぼくのことをアキラって呼んでくれないか、と。

街は米軍の空襲にあう。戦局は日々差し迫ってくる。出撃命令がいつ出るか百合は気が気でない。もちろん若者たちもそうであろう。しかし、彼らはびくともしていない。皆、自ら志願してきた若者たちなのだ。国を守るためにわが命を捧げることを固く決心してきた若者たちだ。明日死のうと悔いはないと。

しかし、百合は納得できない。彼らが幾人死のうと日本は負けるのだ。百合はそれを知っているのだ。何のために命を捧げるのだ、無駄ではないか。

愛する者のために、愛する者の傍にいて共に生きていきたいと決心を揺らがせる若者もいた。貴様、卑怯者!となじる隊員も本音を糺せば同じ思いを心中深く蔵しているのだ。しかし、彼らは愛する者のために、愛するものを守るために、たとえ負けるとしても一矢報いる戦いを引き受けることを選ぶのである。そのような已むに已まれぬ自己犠牲の心が人間にはあるのである。いや、かつての日本の若者たちには濃厚に、濃厚すぎるほどにあったのだ。そのような愛があったのだ。百合はそれをまざまざと思い知らされた。自分の命を超えて守りたいものがある、守ろうとする愛の在り方があるのだと。

若者たちの出撃の日が来た。後何時間か後には彼らは南海の海にその肉体を沈めるのだ。すべてを承知の上で飛び立っていく。
彼らの思いは----後を頼む、良き未来を作ってくれ、祖国日本を頼む・・・

(2)

私はいつも思うのだが、あの頃の若者たちの覚悟はどこからきたのか、と。教育の結果であるといえばそうなのだろうが、それだけではないのではないか。あの頃、日本の町々は米軍の空襲にさらされ、老若男女、赤ちゃん、子供まで焼き殺されていた。これは、今風に言えば、ジェノサイド、である。米軍は日本人に対してジェノサイドを行ったのだ。人種差別があったのだろう。黄色い猿どもは殺しても構わないと。

若者たちは日々その有様をその目で見、ニュースで聞き知っていた。昭和20年、3月9日・10日の東京大空襲では周りを炎の壁で取り囲んで中の日本人を焼き殺し尽くす戦術が実行された。全国、似たようなものだった。そのような状況におかれたら、教育の成果がどうであろうと、若者は一矢報いずにはおれない気持ちになるのではないか。自分の命の長らえというようなことは考えられなくなるのではないか。私ならそうだっただろうと、これはあくまでも空想だが、そんなじりじりした気持ちになる。長生きしていたいと思うだろうか。

ある状況における人間の心理、それはその状況が過ぎてしまえば分からなくなることがあるだろう。昭和20年の日本の状況、日本人の心理、若者たちの心理、それがどうであったか、今では分かりにくい。何とでも言えるかもしれない。正誤、正邪、はつけにくい。私はそう感じる、というだけだ。

そして、ここにまた、別の論点がある。つまり、米軍の空襲をもたらすような無謀な戦争を引き起こした者たちこそがくそったれで、そのくそったれどもに操られた特攻など犬死だった、あほどもだ、とかなんとかいう議論である。

ちょっとそれを考えておこう。

(3)

どんな政治が行われたとしても、特攻隊員たちの心情は貴い。愛する者たち、祖国日本のために命を捧げていくというその心情は至高の貴さを持っている。自己犠牲精神の極致である。愛の極致である。

だからこそである。誰が彼らに自己犠牲を強いたのか?

私は昔、学生時代、あの戦争を引き起こし、国民に途端の苦しみを味わわせたのは軍部、軍国主義勢力、中でも陸軍であった、と学んでいた。そう教えられたというと責任逃れみたいでそうは言いたくない。自分がそういう議論に接近し、そういう文献を読み漁り、そうだそうだと共感していたのだ。今でもそういう議論を展開している文献は山ほどあるだろう。まことしやかに議論は展開されているだろう。そういう議論に同調することは居心地がいいだろう。マスコミはそういう傾向だし、そういうマスコミに洗脳された国民が圧倒的に多くて仲間はずれにはならない。

しかし、私は仲間外れになることはおそれないで、ただ真実のみが知りたい。軍部にこそ責任があったという歴史認識が真実であるという地点から出発した私であるが、疑問はあった。というか、疑問が出てきたのである。つまり、なぜ、真珠湾を攻撃したのか?ということである。

私はいつのころからか、第二次大戦の始まった頃でも、アメリカの国内の世論は反戦であったと知った。ルーズベルトは第3回目の大統領選挙で「私は何度でも誓う。我が国の若者は決してヨーロッパの戦線には送らないと」というような演説をして回って当選したとのこと。世論の7割くらい、ひょっとしたら8割以上は反戦だったらしいとのこと。

真珠湾の攻撃がその世論を一夜にしてひっくり返して、卑劣なジャップ!、叩き潰せ!!とアメリカ中をわき返らせることになった。後は知るべしである。

そこで、疑問は、こういうアメリカの世情を日本の指導者たちは知らなかったのか?である。情報収集、分析はどうなっていたのか?

こういうことも知った。あの頃、日本はアメリカに石油もくず鉄も、その他多くの必須資源をアメリカに頼り切っていた、石油などは7割8割もアメリカから輸入していた、そんなアメリカと戦う愚は知らなかったのか?

学界の言い分はどうだったかな?こうだったような記憶がある・・・日本がシナ大陸を侵略して止まず、おまけに南下してインドシナにまで侵略し、それに反発してアメリカやイギリスは対日包囲網を作り狭め、ついに禁油してきたので、インドネシアの石油を取りに行った、日本の侵略行為が自ら招いた包囲網だ、悪いのは日本だった・・・こんな感じだったような記憶がある。

そして、真珠湾攻撃はどういう言い分だったかな?・・・一つの説明は、日本がインドネシアの石油を取りに行けばその輸送ルートが守られなければならない。それにはアメリカの太平洋艦隊がやばい。それに第一列島線の輸送ルートを横っ腹から攻撃されたらやばい。だから初めにそれをつぶしておくのだ・・こんな説明だったかな。私は、なるほどなあ、と納得したような記憶がある。

しかしである、真珠湾作戦についての説明はそうであっても、真珠湾を攻撃すればアメリカが参戦に立ち上がる、そのまずさはどう考慮されたのか?・・・アメリカの士気がくじかれて、もうやる気をなくすだろう、だったかな?

しかし、そうはならなかった。全く逆だった。やられたらやり返す、これがアメリカ人の精神だった。日本の軍部指導部はこのアメリカ人の精神を読み違えた?

日米戦争のカギは真珠湾攻撃である。これが全てではないか?日本がアメリカを先制攻撃しなければ、あるいは、アメリカの反戦世論に取り入っておけば、日米戦争にはならなかったのではないか。アメリカの反戦世論に取り入る外交努力はなかったのか?

(4)

 

最近(と言っても何年か前のことだが)私は知った。当時、陸軍は、いや海軍の大勢も日米戦争回避、南下→西(インド洋)行戦略だった、それを無視して、一人(?)山本五十六司令長官が真珠湾攻撃作戦を執拗に唱え、永野修身軍令部長と米内海軍大臣が了承した、陸軍も東条英機首相もその作戦のことをほぼ直前まで知らなかった・・そういうことを知った。

驚く話であった。これは研究者の仮説ではなく、資料として残っている事実であるとのことだ。

アメリカ国内における反戦世論取り入り工作みたいなものもあったらしい。当時の日本の指導層の多くはアメリカの内情をよく知っていて、日米戦争の愚、というか身の破滅をよく知っていたようだ。

よく言われる。あんな無謀な戦争をよくも引き起こした愚か極まる軍部・・と。しかし、話はどうも違うようだ。日米戦争の愚、恐ろしさは軍部などこそがよく知っていて、それを回避しようとしていた、インドネシアの石油を取りにいかざるを得なくなったとしても、そこから先はインド洋作戦であって、まかり間違っても太平洋には出ない、そんな大戦略があったという。

その大戦略を無視して、打ち砕いたのは真珠湾攻撃。そして太平洋への進出作戦の展開ーミッドウェー海戦、ガダルカナル作戦・・

日米戦争が愚の骨頂であり、日本を滅ぼす引き金となったとすれば、それは真珠湾攻撃から始まった。

これが真実、真相だったようだ。長い間、私は何も知らなかった。勉強の浅さを思い知った。

 

(5)

山本五十六司令長官の作戦に引きずられて突入した日米戦争。その結果もたらされた日本壊滅。その状況において若者たちは止むに止まれぬ祖国愛から自ら死地に赴いた。そういう意味では彼らは誤った作戦の犠牲者であったと言ってもいいかもしれない。
憎むべきは真珠湾攻撃作戦。

特攻隊員は真の愛国者であった。日米戦争は絶対に回避したいという大戦略が無視され、引き起こされた破滅の戦争に引きずり込まれた若者たちであっただろうが、彼らには何の責任もない。その心情の気高さだけが称えられてしかるべきだろう。