幕間だけの天井桟敷 -4ページ目

幕間だけの天井桟敷

  
  適当な湯加減で書いています

幕間だけの天井桟敷


桜の花が美しいと思うのは、あの優しくて淡い色合いと、少しの間しか咲くことができないという侘しさ、はかなさから来るものだろう。


ひとたび、まとまった雨が降れば、花びらは散ってしまい、程無くして初夏を思わせる緑の芽吹きが街中のいたるところに現れる。

街の風景が、ピンク色から、緑色を携えた風景に変わる瞬間だ。

この"変わる"を感じることで、人々は季節の変化や時の移ろいを認識するのである。


このように"変わる"ということ自体には、何か大切な意図や理由が必ず含まれている。

如月ハニーなんかは「ハニーフラッシュ!」て律儀にシャウトしてから、ちょっぴりエッチで見つめちゃイヤんなキューティーハニーに変わるし、

妖怪人間ベムは、変身前のナリよりも明らかに弱そうな妖怪にバッドチェンジするわ、早乙女乱馬にいたっては、水を浴びればボンキュッボン!と性別自体が変わり、そのうえ乱馬の親父なんか人間やめてパンダになりはる始末。


だけども、それぐらい往年のキャラクターたちにも"変わる"という要素は大事であり、子供たちの心をぐっと掴む切り札的な位置づけだったのだろう。


しかし、"変わる"と言えども、変わり損ねてしまうと、こんな喫茶店になってしまうので要注意である。

幕間だけの天井桟敷


「American Dream」ではなく、あくまで「America Dream」

「ん」だけが変われなかったという、なんともそこはかとない拍子抜け加減。

 
しかしこの「ん」の変わり損ねにも、店のマスターのさぞかし高尚な意図があるのだろう。いや知らんけど。

 
その一方で、"変わりすぎ"てしまうと、このようなスーパーノヴァなお店に変貌してしまう。


幕間だけの天井桟敷


店の名前はなんと「ん」一文字のみ、以上。 うむ…いや、んむ。これは異常である。

まず、何の店かが全くもって意味がわからない。外観も昭和の時代で凍結したかのような香ばしいセピア加減。

とはいえ非常に気になったので、建物周りをパトロールしてみたら、なんとこの建物、「整体院」であった。

ということは、この整体院は「ん整体院」というネーミングになるわけだ。あぁ、なるほどね、よけいに意味が分からない。


まあともあれ、「この際、足の関節も調子悪いからちょっと診てもらぉー」と思って扉を叩いてみたのだが、残念ながらすでに店を畳まれていたようで、この命名の理由は永久に謎のままとなった。


もしかしたら、この整体院に行きたい人がタクシーに乗った時に、

「お客さんどちらまで?」と訊かれて、

「ん」 と答えて、

「いえ、ですからどちらまで!?」

「ん!!」 

「いやだからぁ!!、どち(以下略)」

という哀しい会話不成立のために、結果的に客足が遠のき閉店と相成ったのかも!? と思った。


いや知ら「ん」けど。


  幕間だけの天井桟敷-MAD DORAEMON  

 

 

メルヘン炸裂の楽しい3月のはずであったが、いろいろあり眠れない日々が続く。たとえ寝ていたとしても、眠りが浅いので、最近ヘンな夢ばかり見てしまう。

この日に見たのは、中学生の時に好きだった女の子に告白をしている夢だった。

 

実際に中学生の時はチキンな僕だったゆえ、まことにケッコーなジレンマを抱えながらも、その女の子には結局告白はしなかったのだが、まさか10数年後になって、夢の中で告白して、面談即決でフラれてしまうとは思わなかった。なんというバッド・メモリーズ・オブ・ユー。

 

 

3月の最後の土日は、はるばるスペインから日本へ遊びに来た女の子と、大阪・京都を一緒に歩く。

 

 

 

幕間だけの天井桟敷-白川の桜  

 

 

僕より一歳年下ではあるものの、その子のあまりのキャワユさと日本語の上手さに、胸を打たれる、いや撃たれる。

 

しかも日本語はおろか、英語はもちろん堪能、他に4ヶ国~5ヶ国語話せるとか…。

 

僕なんか、中学時代から勉強しているはずの英語すら、満足には話せないのだ。もう自分のコク深い情けなさに辟易しっぱなし。ダメ人間のエスプレッソ。

 

 

だが、そんな僕でも学習能力をフル稼働させることはできる。その子の流暢な語学力を目の当たりにして、「これではいかん!寸暇惜しんで勉強し直せねば!」と、心新たに誓うことにした。

 

 

そんな新年度の決意を胸に刻みつつ、そして刻んだ決意を秒速で忘れつつ、4月初めの週末は、母校である中学校の吹奏楽部の演奏会にOBとして出演させてもらった。

 

諸般の事情がありあまり練習はできなかったが、これまで出演した中でも印象深い演奏会だったように思う。

 

中学生ながらも、ひたむきに取り組んでゆく姿勢、良いものを創り出したいという気概、それは"エネルギー"と形容するにふさわしい心の動脈。

 

半年見ないうちに、良くも悪くも成長して変わってゆく彼ら10代の"時間力"に、ステレオタイプに収斂しがちな大人としての僕の脳は、少なからず刺激を貰っているのだろう。

そして、その刺激が今年はいっそう胸に沁みたのだと思う。

 

いま自分に足りないのは、そういう"気概"や"時間力"、いや、もっと言えば、"時間の流れる速さにまっとうに対応できる力"なのかもしれない。

そして僕は、今の自分が抱えた病気という「現実」を受け容れ、腹を据えてそれと戦っていかなければならない。

 

 

いつの時代だって、覚悟を決めた人間のほうが強いのだ。

 

 

たぶん、今回はきっと秒速なんかで忘れたりはしない。


幕間だけの天井桟敷-凱歌

 

幕間だけの天井桟敷-東欧94

・ブダペスト市内のバス車内風景


気づけば旅行記をまた4ヶ月も放置…。

某友人から「東欧の旅行記どないなったの!?」と言われるまで、本人が完全に忘却してました。

いやほんと、先週はトラブルも重なり、コク深い情けなさに包まれっぱなしの一週間でした。どうも毎月着実にIQが減ってるみたい。


そういうわけでサクッと東欧の旅行記を終わらせて、早く次の旅行記に移ります。


幕間だけの天井桟敷-東欧95

・ブダペストのオペラ劇場内部


豪華絢爛という言葉がぴったりのこの広間。実はファサード側の入口ではなく裏口のほうの入口。なぜこんな華美なのかというと、人混みを避けるためのVIP専用、それもハンガリー帝国のフランツ・ヨーゼフ皇帝と王妃・エリザベート(ハンガリーではエルジェーベトと発音する)のための入口なのである。


ちなみに僕もこの階段を歩いてみました。独りで。


幕間だけの天井桟敷-東欧98

・ブダペストの温泉その1


いや、温泉ちゃうやろプールやろがアホか、とお思いのあなた、これは温泉っぽいプールなのだ。先の旅行記にも書いていた通りブダペストは温泉大国。プールの水温までが生ぬるくなってはる。


幕間だけの天井桟敷-東欧97

・ブダペストの温泉その2


こちらはほんとうの温泉。だけどハンガリーの温泉はどれも温度が33℃~38℃とぬるめ。

まさしく、ぬるま湯な人生を生きてきた人にはジャストフィットする"ぬるさ"だと思いますよ。ちなみにボクはここで1時間ほど長湯してジャストフィットしてました。 ぬるま湯大好き!!

幕間だけの天井桟敷-東欧104  


温泉のせいなのか、ブダペストの美景を背に、よく分からない格好で記念撮影をしてしまう。

んでこんなことしてたもんだから、ホテルまでの最終バスを逃してしまう。帰りは坂本九さんの「上を向いて歩こう」を口ずさみながらホテルまで歩いて帰りました。思い出したくない夏の日。


幕間だけの天井桟敷-東欧102

・作曲家バルトーク・ベーラ記念館にて


いちおう学生時代は音楽に携わってきた者として、訪れたかった場所の一つ。

ここは、ハンガリー生まれのバルトークが作曲のために住んでいた家であり、写真は自身が弾いていたピアノ。往時の古めかしくも懐かしい雰囲気がしっかりと部屋に残っており、ある意味垂涎もの。


幕間だけの天井桟敷-東欧101

・バルトークが遺した直筆の楽譜

 
幕間だけの天井桟敷-東欧103

・亡くなる直前に吸った最後の煙草


バルトークとほぼ同時代を生きた、同じハンガリー出身のコダーイという作曲家もいるのですが、ブダペスト市内を見る限りこの両者の扱いに少し差がありました。

コダーイは都心のど真ん中に「コダーイ交差点」という名前がつけられているのだが、バルトークにはそれが無い。むしろこのバルトーク記念館は市街外れの住宅地の一角にひっそりと佇んでいます(コダーイ記念館は都心ど真ん中)



バルトークの終の棲家は確かにハンガリーではなかったし、逆にコダーイは第二次世界大戦時もハンガリーに残り、そしてハンガリーで逝去した。そういう点で国民の賛辞や見る目の度合いも違うのかもしれません。

個人的にはどちらの作曲家も好きなのですが、ちょっとした違いに何か寂しい感じもしました。

 
幕間だけの天井桟敷-東欧96

・ドナウ川で獲れたカワカマスを食べる


ブダペストのレストランで食べる川魚のうまいことうまいこと。ブダペストには5日間滞在してましたが、毎晩フライの川魚を食べてました。揚げ物にはビールですね、やはり。

 
幕間だけの天井桟敷-東欧99

・ブダペストのレストランにて


食事をしていたら、いかにもなミュージシャントリオが登場。

小洒落た楽曲を奏で、雰囲気に色を添えます。


一曲終わった後、バイオリンの人が英語でこちらに「何かリクエストがあればやりまっせ」と話しかけてきました。うーん、、どないしよと思いましたが、ちょっと意地悪気味に「思いっきり速いテンポの曲を」とリクエストしたのですが、見事に演奏しはってました。

動画がちょっとだけありますので、良ければご覧ください(注:携帯からご覧の方はたぶん見られません、すません)


 


壮絶な演奏が終わった後、横のギターのあんちゃんから、「僕らCD出してるんやけど買わへん?」とベタなセールスをされてしまう。 

何この人ら甘えたこと言ってんの、こんなんちょっと演奏しただけでお客が買ってくれると思ったら大間違いもいいところ、いったい誰がわざわざ買うのよ。


「お前だよ!!」


天からの叱咤激励がフォルティッシモで聴こえてきたので、とりあえず12ユーロで購入。でも帰国して聴いたら結構いい感じだった。さすがはハンガリーの魂がこもった熱い音楽。いや、知らんけど。

 
幕間だけの天井桟敷-東欧100

帰りに立ち寄ったウィーンで、ザッハートルテを購入。

甘いものはほとんど食べない僕ですが、これだけは美味すぎてなぜかいつも購入してしまう。

でも、いつも気づいたら、誰かにほとんど食べられてしまっているのはナゼ(泣)


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東欧の旅行記はこれにて終了です。

次回からは、2009年の初夏に訪れた地中海のマルタの旅行記をUPします(たぶん)


幕間だけの天井桟敷-酩酊少女


この前、我が社の最年長である長老から、飲みのお誘いをいただいた。


「おう、どや、一発ガソリン入れにいこかぁ」


うむ、さすが長老である。ガソリンという暗喩を用いた小洒落た言い回し、"一発"という決してガソリンには使わない単位を用いるところも素敵。一発ていったい何が発射されるというのだろう。


「お供しますが、わたしハイオクしか受け付けませんよー」とPOPな調子で返すと、「おぉっ、かまへんかまへん」と快諾。「いや、かまえてくれよ」と心の中で一発ツッコミを発射しつつも、やや高そうな海鮮割烹屋に連れていっていただく。


店内に着席してすぐに、何も言ってないのに生中が運ばれてくる。

さすが長老、常連パワーをいかんなく発動している。しかし、食べものはほとんど頼まない。どて焼きと、豆腐、漬物盛り合わせ程度。


で、ビールを飲み切らないうちに、お次に日本酒が運ばれてくる。しかも"冷や"。
いかん、この組合わせは非常に危険だ。これはまさしく「空きっ腹にお酒」という、いとも簡単に人々の記憶をフラッシュアウトさせる危険なバロムクロスである。

「あまり食べずにお飲みになるんですね」と柔らかく言いつつも、心の中では五寸釘を刺し倒していたのだが、「おぉっ、かまへんかまへん」と、さらにこちらに冷酒を注いでくる始末。


「いやだから、僕はかまへんことないんですがな! 空気読んでくれよ!」と、当方もう一発心の中でトマホークを発射していたのだが、実際は「喜んで!」とお酌をいただいてしまったそんな僕は、強い弱さに縛られたガラスのハートの30代。

 
案の定、飲み会がお開きの頃には完全にへべれけ状態に。だけどそれは僕だけ。

そら、各人ビール中ジョッキ3杯、んで2人で日本酒一升瓶を飲み干し、さらにもう二合頼んだんだもの。
500歩譲っても僕が酒が弱いのではなく、長老が酒豪すぎるだけなのだ。


「若い頃に比べてだいぶ酒弱なったんや」と平然と笑っている長老の顔面がもはや"ざる"にしか見えない。そして、海鮮料理屋に行ったというのに、海鮮物をビタ一切れも食べずにフィニッシュするというワールドレコードな結末。


淀屋橋駅で長老を最敬礼で見送り、我が家に帰ろうとそのまま京阪電鉄に乗ったものの、気づいたらなんとそこは京都の丹波橋駅。

いやはや、さすが生中と日本酒のエコハイブリッド。求めてもいないのに京都まで一瞬でテレポートさせられるという驚異の燃費性と睡眠力を叩き出しはる。泣く泣くタクシーに乗り込み大阪に帰ったが、運賃がものすごい事になりさらに泣きそうになる、いや泣いた。

同情するなら補助金くれ!


という、無茶苦茶な日々を思い出しながら某所を歩いていると、この世にあってはならないタイプのガソリンスタンドを発見した。


幕間だけの天井桟敷-廃屋スタンド

なんだこれは。 いろんな意味で違法やろ。

というか、「IN」と堂々と看板に書いてはるものの、車を入れるスペースが無い時点で完全に時空が歪んでいる。


でも、売られているガソリンはたぶんハイオクだけなんだと思う、だって廃屋なんだから、、、(ゴメン)。


幕間だけの天井桟敷-アメリ

 

 

最近、土日もなぜか休みが無い。

遠方に出る事しばしば、イレギュラーの仕事を処理するのもレギュラー、仕事のために仕事をこなしている感じ。

まさしく21世紀版・「月月火水木金金」。 わしゃコンビニか!

 

しかも、色恋沙汰などもってのほか。

驚愕するほどなーんにも無い毎日。灰色のエヴリデイ。

「恋愛」という言葉自体、遠い昔の記憶のよう。

もはや自分の辞書から「恋愛」という淡い果実が消えつつある。

もう、レモン汁をかけないと、その文字が浮き出てこないぐらいのインパクト。

リトマス試験紙で表現すれば、思いっきり"赤"状態。赤はあかん!白にし(以下略)

 

ボヤいているうちに、この前ようやく休みが取れた。

 

特に予定も無かったので、家でゆっくりのんびり過ごしてみた。

 

たぶん体力が落ちて疲労が溜まってたのだろう、お昼近くまで爆睡して、その後ひとりで映画鑑賞開始。

 

前から大好きだった10年ほど前の作品、「アメリ」だ。

 

端々に出てくる個性極まる変わった人たち、

おもちゃ箱のような、心を懐古させる小洒落た音楽、

最後の、自転車を走らせながらの早送りのシーン、

小人の人形に世界旅行させて、それがアメリの父を触発させたこと、、、

そういう諸処のシーンが自分の感性にしっかりと合わさる。それだけに好きな場面はたくさんある。

 

でも、どうしてこの映画を何回も見てしまうのだろう?

 

いや、その最大の理由は知っている。

 

それは、老父が主人公のアメリに向かって言うこの映画の最後の台詞、 

 

「おまえの骨はガラスじゃない。 だから、人生にぶつかっても大丈夫だ」

 

 

この言葉に、きっとなぐさめられたいからだ。

 


幕間だけの天井桟敷-アメリ

 

幕間だけの天井桟敷-駅舎

 

・2月6日(土)


諸業務手続きのため、広島へ。午前中に新幹線に乗り広島駅へ到着、それにしても広島市に来るのは猛烈に久しぶり!

広島といえば、むかし僕が好きだった女の子が広島出身でして。

んで、当時一緒にお好み焼きを食べに行ったりとデートにいそしんでいたのだが、どうも僕のことは"お好み"ではなかったみたいで、そのままなし崩しに恋の千秋楽を迎えてしまう。いわゆる負け越し。

そういう事もあったなぁ。懐かしい。懐かしすぎて涙がちょちょ切れそう。

もう7、8年経ったけど、今どこで何してるんだろう?そんなセンチメンタルに耽っていたら、乗っていたバスをうかつにも乗り過ごしてしまう。

うーん、なんというセンチメンタル・バス。39度のとろけそ(以下略)


いかんいかん。

遊びで広島に来たわけじゃないのに、朝っぱらから僕の"妄想新幹線"は大爆発。まさに望みの無いのぞみ号。NO BRAKE!
 


一仕事をサクッと終えて、午後には尾道に移動する。

尾道という街、訪れるのはもう3、4回目なのだが、個人的にとても好きな場所。

 
幕間だけの天井桟敷-千光寺から

・千光寺から尾道水道と市街地をのぞむ


瀬戸内の島々を遠くに見据えながら、眼前に流れるは尾道水道。そして背後には名刹・千光寺を抱く緑豊かな山が市街地のすぐ傍にそびえるという、日本の数ある都市の中でも個性的な地理構造。


こういう見事なコントラストを創り出す街は、他にはあまり無い。

箱館山を擁する函館、眉山を懐に抱く徳島など類似したものはあるが、ここまで海と山の距離が近く且つコンパクトに纏まった都市は珍しいと思う。


そんな尾道市、ここは言わずと知れた「尾道ラーメン」の本拠地。

「まさか、またラーメン食べたの!?」と思った読者諸氏のみなさま、勘違いしてはなりませぬ。僕だってこう見えてもある程度は多忙の身、しっかりと食べてきました。


 
幕間だけの天井桟敷-べっちゃーラーメン


頂いたのは「ベッチャーらーめん 門池(もんち)」というお店。

食べ初めから醤油の香りが台頭、仄かに甘さも感じられるが度は超えていない。胡椒ではなく七味(尾道は薬味が有名)をまぶして食べるのだが、意外にマッチして驚いた。

あっさりすぎず、しつこすぎず、丁度良いバランス感覚に優れたラーメン。


一仕事を片付けているうちに、もう時間は宵の口。

長年お世話になった方がこの3月で引退されるので、尾道で一緒に飲むことに。

日本酒をしっぽりとっぷりやりながら、尾道で獲れた魚を食べる。うまい。


その後、ほろ酔い千鳥足のまま、夜の千光寺に登ってみた。

 
幕間だけの天井桟敷-夜の千光寺

・ライトアップされた三重の塔と右奥に見える尾道大橋


夜の尾道の街を見下ろすのは初めてだったので、その予想以上の美しさに感激。

外国の豪壮で厳かな建物もいいけど、日本にはやはり島国ゆえの特異で情趣が溢れる風景がたくさんあると思う。


・2月7日(日)


昨晩お会いした方が、尾道周辺を案内してくれると言って下さったので、お言葉に甘えガイドをしてもらう。


「そういえば、ラーメン好きだったよね?」

「私ですか?いえいえ、そんな炭水化物と脂質だらけのジャンクフードなど、全くもって大好物です


そう答えると、

「うまいラーメン屋があるんだよぉー」と言ってお勧めの店に連れていっていただく。しかし、そこはなんと昨日僕が行った「ベッチャーらーめん」であった。うそんっ。

つくづく自らの引きの無さ・運の悪さに愕然とする。まさかの、同じラーメンを食べるというバッド・リフレイン。リフレインがあかんがなと叫んでる。


その後、福山と岡山の笠岡を案内してもらい、解散と相成る。

しかし、なぜか最寄の駅まで送ってもらえず、途中の田舎道で「じゃ!気をつけて!」と言われてしまう。

うぅむ、これが本当の意味での"放置プレイ"か。悪い意味で新鮮だった。


結局、最寄の駅まで歩いて30分もかかり、帰りの新幹線では案の定、寝てしまう。

しかも、お好み焼きをひたすら食べてる夢を見たのだが、これってどういう意味なんだろう?

過去の恋愛にしがみついてるという意味なのかな?


尾道だけに、まさしく「時をかける少女」、いや、 「時をかけるおっさん」であった。


 
幕間だけの天井桟敷-時をかける少女


幕間だけの天井桟敷-2010012411080000.jpg

鹿児島の知覧武家屋敷にて。

「ゴッツイ罰則」てなんだろ。
げんこつ百回ぐらい喰らうのだろうか。

幕間だけの天井桟敷-錦小路

・錦小路の市場を歩く


みなさんあけましておめでとうございます!とウザいぐらい元気いっぱいに叫びたいところだが、すでに新年が明けて半月も経ってしまっているではないか。なんという時の流れの光フレッツっぷり。

そういうわけで、2010年の目標と心がけをここに書こうと最初思ったのだが、もはや「今さらでっか」という気もするので、また来年がんばります。


話は容赦なく変わりますが、この前のお休みにぶらっと京都へ行ってきました。


冒頭の写真は、錦小路にある京都の台所「錦市場」。

新春の残り香が漂う、けたたましい市場の雰囲気。これだけでも京都風情があるんだよな。


この錦市場の特徴は、老舗・専門店が集中する京都屈指の市場のくせして、通りの幅が壊滅的に狭いということ。

ましてや連休の夕方となると、人通りも増え、人と人の肩がぶつかるのは日常茶飯事。これがバイオレンスCITY・OSAKAなら、すぐさまお互い一途に・ICHIZUに殴り合いになるのだが、ここはさすが上方のお上品な場所柄、みなさん笑顔と礼儀を絶やさず、ドッカンバッカン遠慮なくぶつかりまくってはる。


そんな雰囲気を楽しんでいると、通りの外れにちょっとオシャレな店が見えた。


幕間だけの天井桟敷-五行


一見、和風料理屋かと思ったが、看板をよく見ると、なんとラーメン屋。

しかも午後3時というのに店前には行列。どうやら人気店のようだ。


しかしだ、こんな時間に、こいつらわざわざ行列つくってまでしてラーメンってどうなのよ。新年早々、体を悪くしたらモトもコもないですやん。こんなん誰がわざわざ並ぶのよ。

 
幕間だけの天井桟敷-五行2


30分ほどして運ばれてきたのは、「焦がし醤油ラーメン 850円」という一品。

カウンターの前の厨房で、料理人さんが鍋に火をつけ、メラメラとスープを短時間で焦がして、焦げの香ばしさを加えるという、なかなか手の込んだラーメンである。


「非常にお熱いので、気を付けて召し上がって下さい」


こう言われたので、僕自身そんな猫舌ではないのだが、ちょっと気を付けてスープを飲んでみる。


・・・・・・・・・・・・・・。

熱い! いや痛い!


なんじゃこれ。幽体離脱しそうなぐらい熱い。舌の表面に剣山刺されたみたい。

お味は甘さ際立つ醤油の香りと麺のソリッドさがマッチした味わい良いラーメンだったが、そんなことより一口目のスープだけで舌が一瞬にしてヤケドしてしまった記憶のほうが強烈に残ってしまう。

「焦がし醤油ラーメン」言うてますけど、自分の舌が焦げてますがな。


ラーメン自体はなかなか美味いけど、みんな行く時は一口目に気を付けてね、いやマジで。


・京都 五行(きょうと ごぎょう)

住所:京都市中京区柳馬場通蛸薬師下ル十文字町452

時間:11:30~16:00 (15:30 LO) 17:00~翌1:00 (24:00 LO) 基本無休

※夜はバー主体になります


「焦がし舌」を寒風に晒しながら、カップルたちの聖地・鴨川へ。

ちょうど夕暮れ時で、太陽の光が雲の間から射し、なかなかロマンティックだった。


  幕間だけの天井桟敷-鴨川2


まだ暗くなってないのにもう川沿いに座ってる阿呆共…じゃなくて人達もちらほら。

すると、ほどなくして公衆の面前で威風堂々とイチャつきはじめるという、びっくりするぐらいの教科書通りの展開。 くそ、なめんな。焦がしたろか。


少し歩いていると、祇園の花見小路近くでお祭りをやってた。

どうやら「十日えびす」のようだが、入り口をはいるとすぐに、顔面が狂気に満ちた舞妓さんが僕を出迎えてくれた。


幕間だけの天井桟敷-マッド舞妓


きっと七味食べすぎて、舌が焦げたんだろうな。

 

※いつも実の無い内容ですが、懲りずにみなさま今年もよろしくお願いします。

また、定期的に更新してまいりますので。


幕間だけの天井桟敷-喜多方12 看板13

喜多方旅行最終回。

3日間滞在した喜多方でも、基本は徒歩で移動していたわたし。

その間に、市内のいたる所で発見・遭遇したヘンな看板・風景をアップ!


日本の数ある都市の中でも、エロとバイオレンスのA代表であるわが街大阪CITYも、かなりの面白看板・名物であふれているのだが、この小さな街・喜多方にも、いろいろあってびっくら驚愕。


なんと、初日の朝に喜多方駅に到着してすぐに先制弾を喰らってしまう。駅を出て出迎えてくれたのは東北美人のおねえさんではなく、若干エロそうな顔をした「豚」だったのだ。


幕間だけの天井桟敷-喜多方12  看板12


ちょっとムッツリス○ベだと思う、こいつ。


そんなハードエロティカ洗礼を受けつつも気丈に歩いていたら、食堂らしき看板を発見。

だが、どうも"カツカレー屋"さんではなかったみたい。


幕間だけの天井桟敷-喜多方12 看板2


あくまで"かつ" と "カレー"。決して一緒くたにしない事に、何か強いこだわりを感じる。店は営業してなさそうだけど。


思ったより好評でお客さんがいっぱい応募してきたから、焦って書いたんだろうが、この世に存在しない漢字がありまっせ、ダンナ。


幕間だけの天井桟敷-喜多方12 看板8

この漢字を見てすぐは、誤りに気づかず「正解だな」と思ったが、微妙に違う。

しかも、"満"もちょっと間違ってるし。


お次に、市内の北部を歩いていたら、どこにでもあるフツーの自転車屋を発見。良く見てみると、なんかヘンなモニュメントがあったので、近くまで寄ってみた。 


幕間だけの天井桟敷-喜多方12 看板16

手作り感炸裂のクマさん人形が、なんと子供用のチャリンコにうまいことONしている。しかも顔面がえらく上機嫌。なんじゃこれ。

そもそも一般的な町の自転車屋さんが、このモニュメントを置くことで、いったい消費者に何をアピールしたいのかが全くもって意味不明。

そしてよく見てほしい、そのクマさんの左側の小さな物体を。さらにミステリアスなモノが置いてある。


幕間だけの天井桟敷-喜多方12 看板10

そう、「ゴジラ」。

しかし、「ゴジラ」と書いてもらわない限りは、この物体が「ゴジラ」とは絶対に認識できないパラドックスが生じている。もはや自転車屋という概念すらデストロイされ違う店のよう。


そうこうするうちに歩くは、夜の喜多方市商店街。 

ほろ酔い気分で歩いていると、ものすごいキッチュなストリートアートに出くわした。

 
幕間だけの天井桟敷-喜多方12 看板14


商店街の一角、店のシャッターに描かれた、ハンドメイド爆発のスーパーノヴァなデザイン。

見えにくいのでズームしてみよう。

 
幕間だけの天井桟敷-喜多方12 看板15


これはすごい。

"無敵"と書いてエクスタシー級のショック!


喜多方の「喜」の"口"の部分に顔面があり、且つ全体のボディ(頭?)はラーメンで構成されているという、壊滅的なデザイン。

そのラーメンの部分が"頭"だとしたら、体の部分はほんの数センチ。んで、靴が異様にでかい。「等身」で表したら、もはや"ゼロ"の境界を飛び越え、マイナス2等身ぐらいになってはる。

いったいどういう着想をしたら、こんなデザインの境地に辿り着くのか、この看板の作者のフロンティアスピリッツをぜひ問い詰めたい。


衝撃覚めやらぬまま商店街を歩いていると、なんと喜多方市にも"デパート"があった。

 
幕間だけの天井桟敷-喜多方12 看板4

とてもじゃないが21世紀の風景とは思えない、"昭和"で凍結されたままのセピアデパート。セピアどころかレトロの領域すらも飛び越えて、この店自体が発酵してアナザワールドとなっている

「デ」の「゛」の位置も、今となっては斬新。


夜だからこんな寂れてるのかな!?と思って、昼間にもう一度行ってみた。

 
幕間だけの天井桟敷-喜多方12 看板3


やっぱりレトロだった。

しかも半分シャッター閉まってるし。


そして、商店街をさらに進むと、ものすごい強烈な商品の宣伝が。

 
幕間だけの天井桟敷-喜多方12 看板7


一見は、まごうことなき「地下足袋」の宣伝。

しかしなんだ、この履いてる奴の悪人っぷりの顔面は。山をトレッキングしている人や、山で仕事をしている人には、どうやっても見えず、360度どっからどう見ても、爽快なまでにキノコ泥棒。

そして、右足の肥大化具合がもはや人知を超越している。


あとでわかったことだが、さっきの、"頭がラーメンになったキャラクター"のデザインや、この地下足袋の絵なんかは、どうも地元の小中学生が書いているらしい。

だからなのか、ここまで既成概念を打ち破った、何かに取り憑かれたかのような、もんのすごい画力は。


んなこんなで、最終日。

喜多方駅に戻る直前に、こんな看板を見つけた。

 
幕間だけの天井桟敷-喜多方12 看板11

いや、そんな懇願されても。


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5回にわたり書き綴った喜多方旅行紀、ダラダラな展開でしたが、これにて終了です。 気づいたらもう年末ですね。

最近、ほんと1年が早い。

ボケボケしてないで、はやく年賀状を書かんと。


幕間だけの天井桟敷-廃線1


喜多方滞在2日目。

朝から自転車を借りて、喜多方市内から山あいの熱塩(あつしお)温泉まで、10数キロの道程を走ることに。その途中で鉄道の廃線跡と駅舎を見つけました。


現在の喜多方駅から熱塩加納村を結んでいた「日中線」。

福島の会津から、山形の米沢まで繋がるはずだった、当地の人の希望だった轍。くしくも、米沢へは繋がることなく、赤字削減の対象として、旧国鉄により廃止の憂き目に遭った路線です。

 
幕間だけの天井桟敷-日中線・熱塩駅


鉄路(線路)に耳をあてたことはありますか?

 
耳を鉄路に近づけると、金属の錆びの匂いが漂いながら、遥か彼方の鉄道の車輪音が聴こえて来て、なぜかわくわくして「もうすぐ来るぞー!!」と周りの友達に大声で叫び、そして田んぼの陰に隠れて、勢い良く通過する汽車の姿を、父の故郷でよく見ていました。 


私は鉄道マニアではないのですが、全国各地に点在している廃線跡や古びた駅舎を見ると、なぜだかいつも、もの悲しくなります。


それは、形としてあったものが消えていく、確かにここに在ったものが今はもう無いという、時代の趨勢や侘しさを、そこに感じるからなのでしょう。

 
幕間だけの天井桟敷-保存車両の中

  
遠くまで残響していた汽笛の音。

レールの継ぎ目を叩いていた車輪の音。

耳をつんざくようなブレーキの音。


当時の風景も記憶も泡のように消え、とどめていようとどれだけ抗っても、指の間から水がこぼれるように失われていく。


思い出というものは全てを記憶しているけど、
記憶というものは全てを思い出すことができないように。

 


何年前に使われなくなったのか、

何十年間使われていたのか、

詳しくは知らずとも、僕はその「廃線」の上に立ち、いま目にしている風景にいろいろな思いを馳せていました。

 
幕間だけの天井桟敷-機関室


幕間だけの天井桟敷-往時の新聞記事

 
この鉄路を誰かがまだ見ぬ未来のために使っていたことも、
誰かが故郷へ帰るために使っていたことも、
誰かが誰かを追いかけるために使っていたことも、
それら全てが今は遠い時代の薄片。


そして、その華やかな時代を彩り、
たくさんの人の悲しみと幸せを刻んできた鉄路と喧騒は、

今はもう無い。



幕間だけの天井桟敷-廃線2

 

※最終回のその5へつづく