日本人の八割は”無宗教”であるとよく言われますが
養老さんは”無”という宗教なんだとおっしゃられています
南無阿弥陀仏の"無"
引用:GoogleのAI解説
南無阿弥陀仏の「無」は、阿弥陀仏が「無量の命(アミターユス)」と
「無辺の光(アミターバ)」を持つ仏であることを表し、
時間・空間を超えた無限の救済力(無条件の救済)を意味します。
また、自身の計らい(無明の闇)をなくし阿弥陀仏に帰依する、
「無の心」の体現でもあります。
養老さんらしい考え方だなあと思います
養老さんはメタメッセージが危険だと言われます
先ほど、養老さんの動画を見ていて
「説明責任はできない」とおっしゃられていました
説明責任は必要だと正しいと思っていた私は
実はハッとしました
自分のしたことを突き詰めていくと実は説明できない
考えを深めていくと実はそこに行きつきます
自分はなぜ今このブログを書いているのだろう
情動にかられているだけで 内から湧いてきた感情で
これを大分の方言で表現すると”なんかなし”となります
グーグルさんは福岡、宮崎の方言と出てきました
大分県人としては心外です
福岡と宮崎の間に大分あるぞー
大分でも使うぞー
無宗教と無宗教から始まった
以下、養老さんの動画をみながら書き留めた
あるいは自分の中に湧き上がってきた
とりとめのない言葉です
weird 奇妙なという英語だが
これをばらした以下の言葉が長らく白人の価値観だったが
最近は変わってきているらしい
w:white(白人の)
e:edcated(教育された)
i:intelligent(知的な)
r:rich(豊かな)
d:democratic(民主的な)
養老さんいわく 白人(世界)はこれが正しいと思ってきたし
日本も明治以降追いかけてきたが
今は少し価値観の変化がみられるそうです
人間(にんげん)と人間(じんかん)と世間(せけん)
漢文ではじんかんと読み この場合の意味は世間
村八分と腹八分
同じ八分でもずいぶんと違うものだ
適当と適当(適切)
いい加減といい加減(良い加減)
どちらも違うニュアンスがあります
世の中は一変に変わる
直下型地震
昭和20年8月15日
南海トラフ地震
日常が壊れた時に何が大切か初めてわかる
自分はいろいろある
アバターはそれのAIによる表現形態
複数の自分を映し出している
現代人はキチンとしたがる
生きづらさはこのあたりからきているかも
自分も他者も無常であり
移ろいでいる
養老さんのこの言葉がやはり好きです
「ああすればこうなるものではないが
なるようになる」
本日の備忘録終わります