ただの愚痴ならちゃんと聞けるし、解決策について話し合うのは嫌いじゃない。

友達が悩んでるなら、なおさら一緒に考えたい。

沈んでしまった友達の心を少しでも軽くするために
とりあえずは話だけでも聞きたい。


でも、それほど親しくない人から、自分がなんとも思っていない人についての悪口や不満を聞くのが本当に嫌で

なんとか話を逸らそうと頑張ったり

なんだかもう面倒くさくなってバックれたりしたことがあった。

確固とした信頼関係を築いていない相手が共感と一体感を求めて

その不満や悪口を私に共有させようとすることは

私にとって

恐怖でしかない。


困惑を隠せない私に「なんでわかんないの!?」とばかりにヒートアップして周りに対する不満をぶちまけようとする相手。

いや、わかってる。言いたい事はわかる。でもごめん。それあなたの問題だから。すっごいごめん、まずあなたがどうしたいか決めないか?と言えない程の剣幕を起こす方がいた。

私以外の人は上手に相槌を打ったり

否定せず肯定せず、良い塩梅の距離感でそういう人の話を聞けるんだろうなと

自分の対人スキルにガッカリした事が何度もある。今年もデカめのそういう事があった。

案の定私はバックれた。彼からも、一緒に所属していたグループからもだ。

ストレスで体調を崩してしまったからだ。

そういうシーンで困惑し、迷惑被ったと思ってしまう私の器は小さい。その程度で微熱が続いてしまう私の儚さよ。

私はどうしてそのような人の話をハイハイと流せずに、嫌悪感を抱えてしまうのだろうか。

まずは私の周囲の人たちについて考えてみた。

私が仲良くさせてもらっている人たちは、そもそもあまり他人についての不満を言わない。

言ったとしても、不満を言う事と解決策を考える事が連動しているため

不満がある→ 解決策を考える、自分が動く

という明確な目的がある。

不満や悪口はすぐに問題解決の為の話し合いになる。

犯人探しではなく、問題の特定と改善・解決策が一番重要なのだ。


そういう人達とばかり仲良くしてきた私は、慣れていないのだ。悪口を共有するということに。

大きな理由もなく、解決するでもない。あーあいつ最低だよなっていう悪口を共有し合う会話に慣れていないのだ。


私が苦手だと思う人たちは

不満がある → 不満を共有する事を目的にする

私が大好きな人たちとは目的意識が違うのだ。


目的の相違こそが苦手意識に繋がっているのだ。


私のこの苦手意識は社会人としては致命的なのだが

良き友達に恵まれ、あまり自覚は無かったが日本社会に甘やかされてきた事を

まずは感謝する。

そして自分で仕事を始められた幸運に感謝する。


何故このようなプチ苦痛が時々あったかというと

全て子供繋がりの付き合いが生んだことだ。

ママ友・パパ友は真の友達では、まだない。
子持ちってこと以外の共通点がない。
だからお付き合いは慎重にすべきだと

改めて学んだ一件であった。

母ちゃんの悲しい決断で息子は友達を一人失った。

とてもかわいそうな事をしてしまったと今でも胸が痛む。


ただ

いつまでも不満を共有しようとしない私をコントロールするために怒りまくったり、息子の人格を否定する内容のメールを送ってくるお父様とは

もう連絡を取るべきではないと判断した。勝手に決めてごめん、息子。

ママ友から真の友達になってくれた人に出会えた幸運もあったが、きっと稀なんだろう。

友達になってくれて、ありがとう。

対人スキル低くてごめんね。

これからも私なりに大事にするから、不満があったら言ってきてね!