「したい欲」と「されたい欲」
だけどその裏で暗躍し続けたのは
「させられたい欲」と「させたい欲」
よっぽど人は自分で責任を負うのが嫌なようだね。
誰かに何かを言われるのが怖くて。
でも、それって裏を返せば
誰に何を言われてもいいって開き直ったら
もうだれもその人を止めることはできないってこと。
それが自己責任と自由のもう一つの側面。
なかなかこっちに気付く人はいないみたい。
どんな正義も、目の前の暴力には何の抵抗力も無いように
どんな建前も利権も、現実の行動の前には何の関係も無い。
あなたがなぜそれをしたのかなんて言い訳、
誰も聞いてくれません。
問われているのはあなたが何をしたのかだけ。
いつだって勝手に抵抗しているのは
自分の心だけ。
自分だけが自分を止めることができる。
その理屈で言えば、
自分に周りのことを直接コントロールする資格は無いし
周りの人も、自分を直接コントロールする資格は無い。
これが分かればだいぶ気持ちが楽になるんじゃないかな?
この世には権利なんて物体は無いし、
正義、善悪なんて物質も無い。
正解なんてありません。
そんな簡単に理屈で0と1に割り切らせてくれるほど
世界は易しくない。
人はいつだってアナログに、現実に起きた歴史を
すべて背負って生き続けている。
目を背けようと背けまいと。
こういう話をいくら聞いてもなお答えを求めてしまうのは、
答えを見つけないと自分は絶対に助からないという
強迫観念から。
なら、絶対的な答えの無い状態で自分を助ける
方法を探さなくちゃ。
そうしたら答えなんて無くても問題解決でしょ?
外には絶対なんて無いんだから
自分の中で勝手に絶対を作り、実行してしまう。
そんな自分勝手が自由であり、でもあくまでそれは
自分勝手、おせっかいだから何言われるか分からない。
人はは絶対に何かのために生きることはできません。
どんな建前があったところで、結局すべては
自分のために、自分が納得するためだけに
やっているにすぎないから。
それは他人も同じことだから、だから何を言ってもいいし
何を言われてもいい。
これって都合とか権利とかのパワーゲームの中に
生きてきた人にとってはとてつもなく都合の悪いことです。
他人に何も言わせないために自分も何も言わずに
我慢して生きてきたんだから。
でもそれさえも自分が勝手にやったことに過ぎない。
自分がいくら抑えてきたところで、
それが他人が控えなければいけない理由にはなれない。
そこにどれだけ重きを置いても、どれだけ執着したとしても
それが自己責任を離れることは無いんです。
だから自分の態度で他人をコントロールしようなんて
横着な期待は必ず裏切られて終わる。
そこだけは世界は譲ってくれない。
だから、早くパラダイムシフトしなさいって
皆言ってるでしょ。
消費者意識、被害者意識を抜け出して
当事者意識になりなさいって。
どれだけ自分のせいじゃないフリをしたって
現実に自分の責任を逃れたことにはならない。
だから現実を見て、すべて自分の責任だって認めちゃえって。
誰かの、何かのせいにしている限りその代償として
自分には選択権がなくなってしまうから、まずは
その辺全部呑み込んで自分で選んでいかなきゃ。
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