滋賀県の面積の6分の1を占め、流れ出る水
は瀬田川
・宇治川
・淀川
と名前を変えて、大阪湾
(瀬戸内海
)へ至る。また、湖水を京都市
や淀川流域の上水道
として利用するため、琵琶湖疏水
が京都へ流れている。最狭部に架かる琵琶湖大橋
を挟んだ北側部分を北湖(太湖)、南側部分を南湖と呼び、水質や水の流れなどが異なる。
琵琶湖を取り巻く各自治体は、大きく湖南・湖東・湖北・湖西に分けられる。※区分については「滋賀県#地域
」を参照。
湖を取り囲む山地
からの流れが源流で、京阪神
の水瓶という機能も担っている。また、古くから水上交通路としても利用されており、明治時代に鉄道
が開通するまでは、京
や大坂
から東国
・北陸
への物資輸送に利用されていた。
古代湖
であり、魚類や底生動物など50種以上の固有種
を含む生物相に富む。明治から昭和の初期までは、琵琶湖の周囲に大小40数個の内湖
が広がり、多くの生物を育んでいた。しかし琵琶湖の洪水防御のため、1943年から始まった河水統制事業により、事業が終了する1952年までに平均水位が数十cm低下ことや、これに前後して内湖の大半が干拓されたこともあって琵琶湖の自然は大きく変化し、固有の風致や生態系が大きく損なわれた。現在、滋賀県は一部の内湖を復元することを計画[1]
しており、生態系の回復や水質浄化が各方面から期待されている[2]
。
東京湾
中等潮位 (T.P.) 基準で+84.371 m、大阪湾
平均干潮位 (O.P.) 基準で+85.614 mの高さが琵琶湖基準水位 (B.S.L.) と定められており、「琵琶湖の水位」とはB.S.L.を±0 mとした水位のことをいう。B.S.L.は、1874年
(明治7年)に鳥居川観測点において「これ以上水位が下がることはない」と判断された点として定められたものであるが、その後、瀬田川の改修によって流出量が多くなったことなどにより、水位がB.S.L.以下になることが多くなった。現在では、B.S.L.の値がおおむね満水位となるように水位の調整が行われている。
なお「急がば回れ」という諺
は、現在の草津
と大津
の間を結んでいた「矢橋の渡し」を詠んだ和歌
が語源となっている。