ノートしていると、
「役に立ちたい!」
「必要とされたい!」
という願いに辿り着くことって結構あると思うんです。
人って「今、自分は役に立っているな。」と感じられると、安心するんだと思う。
例えば集団の中で全く役割のない、誰からも必要とされない場所にポツンと居るのを想像すると分かりやすいかなと思うんだけど、すごく心苦しい感じがしませんか?居心地が悪いというか・・・。
それは「ここに居ていいのかな?存在していいのかな?」という怯れに繋がっているんですよね。
今朝の絶景♡オリジナルのボタニカルキャンドル
の販売始めました!
幼少期、家庭の中でもそうだったかもしれない。
本当は無償で愛されていたとしても、
自分が勝手に「お姉ちゃんだからしっかりしなきゃ!」「いつも明るくて元気だねって褒めてもらえるから、いつも明るく振る舞わなきゃ!」「お父さんがお母さんをいじめるから、私がお母さんを守らなきゃ!」みたいに役割を作って役に立とう!としていたりね。
それがいつの間にか、自分の「存在意義」になっていたりするんです。
そうなると、自分がどうしたいか?よりも
どうしたら役に立てるか?どうしたら必要とされていることに応えられるか?
を基準に生きていってしまう。
それに違和感を感じられたら良いのだけど、
むしろ「役に立てること・必要とされること」を自分の喜び♡という風に勘違いしてしまってたりします。
だからまた、役に立てそうなことや必要としてもらえそうなことをやってしまう。
しかしそれを続けるとどうなるかと言うと、
無気力になるんです。←そう。まさにこんな感じで『魂抜かれた状態』!!
だんだんだんだん、無気力になっていく。
気づくと朝起きるのもつまらなくなる。
また始まる1日が、億劫にすら感じてくる。
これ、“需要に応え続ける”という在り方なんだよね。
そもそもで人は本当に存在することに価値があるんだけど、自分自身が「価値は失うもの」という幻を握りしめてしまっているのです!!
需要に応えなくても無価値にはぜーーーーーーーーったいになったりしないよ❣️
まずは自分自身で、そのことを決め直さなければならない。
キャンドル三兄弟♡
これは「本当はどう在りたい」かの話になるんだけど、
本当の本当はもう許されたくないですか?
何の役に立たなくても、
必要とされなくても、
存在したいよね。
だったら、自分自身がそう決め直さなきゃ❣️
誰かの許可を必要とするのは辞めて、自分で自分に許可を与えるのだ♡
「私で居ていいよ!」って、言ってあげよ
そうすると、これまでとは肉体の使い方が全く変わってくる。
「役に立てそうなところを探す」から「大好きなことをやる♡」に変わるよ。
しつこいけど、大事なことだからもう1回書かせて下さい‼️
私達にとって“この肉体をどう使うか(働かせるか)”は、すごーーーく大事。
人のためにばかり働かせていると、どんどん無気力になっていく。
せっかくやりたかった仕事ややりがいのある仕事をしていたとしても、それすら無気力になるのは、いつも人のために自分を働かせているからなんだ。
でももしなんの役にも立たなそうなことをしていても、大好きだからやってる♡なら生き生きするでしょ?
だから、私達にとって自分の肉体を自分の(魂の)ために働かせるってものすごく大事なんだよ♡
そして「役に立つ」の設定変更もすべし!!
どうせ役に立ちたいのなら「役に立つ」は“この肉体を自分のために使うこと”にしてみて!!!
これ、めちゃくちゃ役に立ってるなぁ〜〜って感じない?
自分のための肉体です。
一人に1個与えられたギフトだよ。
だから、役に立たないとしたらそれは肉体を他人のためにばかり使ってすり減らすことなんだ。
これ、全然役に立ってないからね‼️
外側での誰かの役に立つとか立たないとかは、たまたま立てたら嬉しい。でも、どっちだって良いんです
せっかく魂がこの肉体を使いたくて生まれてきたのに無視ばかりしていたら・・・そりゃあ無気力にもなるよね
これからは本当に魂の役に立つ、肉体の使い方をしませんか?
それだけで毎日とっても生き生きとして過ごせるようになるよ