このブログは2020年5月(今から3年前)に書いたものをリブログしています♡
「私は、嫌われている」
「私は、愛されていない」
「私は、不幸」
こういった人間の悩みの全てに通じる『在り方』の部分を書いています!
どんなに辛い経験をしたとしても、世界は自分次第で決めることが出来るのです。自分がそうする!と決めたその瞬間から❣️
それが『在り方』です。
時を経てもやっぱり大切な本質だと強く思うので、再アップします♡♡
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今日はとっても大事なことを書こうと思います。
テレビなどにも出演されていた一人の若い女性が、アンチによるネット攻撃を受けて自殺に至った件について。
この件は今沢山ニュースになっているので、知っている方も多いと思います。
ニュースを見ているとその出来事を報道するもの、
そして、様々な人達のコメントを伝えているものがあります。
そのコメントの多くは、アンチの行動を非難するものが多く見られます。
当然と言えば当然だよね。
やっぱり私もいわゆる「ネットアンチ」と呼ばれるものは、大嫌いです。
私もね、これまで沢山のネットアンチを受けて来ました。
もちろん有名人ほど、多くの人達から受けたわけではないけど。
それでもやっぱり精神的にかなりこたえた事もあったし、苦しんだ経験もあります。
一度は弁護士による開示請求まで行ったことがあります。
数年前、このブログを更新する度にアンチリブログが執拗にあり、中には私達家族の個人情報をギリギリライン(というかほぼアウトライン)で書かれた事もあります。
それは全く分からない人には分からないだろうけど、身近な人達には容易に特定出来るであろう内容でした。
そこにあまりにも酷い嘘を上乗せしてネット上に流され続けたため、開示請求に至りました。
しかし簡単に「開示請求する」と言っても、実際にはそう簡単ではありません。
それは本気になれば誰にでも出来る作業ですが、
膨大なエネルギーと時間と、そして少なからぬお金が必要となります。
アンチは、私がブログを更新する度に過激な記事をリブログし続けたため、それをコツコツ全て印刷し続けて弁護士に持って行きました。
当時の私は精神的に辛くてリブログ記事を直接見る事が出来ず、全て夫がやってくれました。
お金以上に大変だったのは、そういった事に掛けた膨大なエネルギーと時間だったように感じます。
そしてきっと私一人なら、正直出来なかったと思う。
淡々と行動し、そして「許さない」という信念を持ち続けた夫が居たからこそ出来たのです。
そして最終的には、アンチしていた本人とそちらのご主人、私と、そしてうちの主人とを交えて話し合った末に示談となりました。
この他にも、複数からアンチを受けた事があります。
2チャンネルなど大きなサイトにも、
私や家族のあることない事、
あれこれ書かれています。
そんな私は、今回のニュースをキッカケで当時のことを思い出して「あの経験があって良かった」と感じている自分に気がつきました。
その理由の一つは、事実を正しく見る事が出来るようになったということです。
イコール「事実を明らかに見る」ということです!
その当時、開示請求の対象以外にも数人、このブログを標的にしてアンチする存在がいました。
生きてきてこれまでにないほど、酷い言葉を目にする日々でした。
ネットでは顔が見えない
これは、アンチにとっては「激化する」要因の一つになっているようでした。
大好きなブログを書くこと。
しかしブログをあげると、数時間のうちにはアンチからのリブログ通知が届きます。
その通知音が鳴る度に毎回怖さと不快感で、徐々にブログを書くことが苦痛になりました。
「ブログで表現し続けたい」
という気持ちと苦しさとのせめぎ合いです。
どうして良いか分からず、そのままブログを書いて→苦しんでという事をただただ続けるうちに、心はどんどん「大きな恐怖心」に支配されていくようになりました。
その時感じていたのは、
自分のしていることに自信が持てなくなる感覚でした。
自分が好きなものを好き!と言うこと、やってみたいことにチャレンジすること、ブログで自分を表現し続けること。
そんな自分の事が、信じられなくなってきたんです。
「もしかして私が間違っているのかも!?」
「(全くそのつもりはないけど)私って犯罪者なのかも!?」
そんな風に疑心暗鬼になりました。
そしてもう一つ感じていたのは、自分や家族の身に何か起きたらどうしよう!?という不安です。
さっきも書いた通り、ネット世界でのアンチは激化する傾向にあります。
本当に心ない言葉を平気で放ちます。
それによって「これまでに、こんなに恨まれた事はない・・・」というほど、強く恨まれているような感覚に陥っていきました。
そこで湧いてきたのが「実害への恐怖」です。
これがキッカケで予期せぬ噂となり、子供達がいじめられるのではないか?
どこかで刺されたり、家を燃やされたり、子供達が殺されるんじゃないか・・・
という事まで考え、追い詰められていきました。
(オブラートに包んだ個人情報を書かれたこともダメージが大きかった。きっとアンチの狙い通りで「あなたの身近にいるよ」という恐怖心が生まれました。)
そんな不安でいっぱいいっぱいの精神状態が一転したのは、
事実を明らかに見た時です。
漠然とした恐怖が膨らみ過ぎて「もうダメだ!!」と鬼気迫った時、ようやくこの最善の一手に辿り着きました。
「事実」と「幻」を分けてみたのです。
事実は、毎日ブログがリブログされているという事。
そして、私は毎日これまでと変わらず普通に生活し続けているという事です。
アンチのリブログが始まり、まるで自分の生活や人生そのものが脅かされているような気がしていました。
ところがそれが始まってからも私の実生活は実のところ、驚くほど「何も影響を受けていない」という事実がありました。
影響を受けていたのは私の内側、つまり「心」だったのです。
私は相変わらず家族と暮らし、子供達と遊び、美容師の仕事を続けている。
子供達は毎日元気で、夫とはパートナーシップを育みあいながら、お客様も変わらず指名来店してくれている。
これが、事実だったのです。
それを直視した時、本気で世界がガラリと変わりました。感情も変わった。
アンチされることに対して「漠然とした恐怖心」が消えました。
もちろん不快だし、傷つくことはあります。
それでももう、恐怖に支配される事はなくなっていました!
もう一つやってよかったのは、「アンチ」これ自体のことも明らかに見たことです。
ネットに匿名で誹謗中傷を書く人。以上!!!!!
「人」と呼んでいいのか?も、定かじゃないくらい。
そのアンチという存在は、"実体"を持たないまま毎日画面上に現れるもの。
つまり、画面の中の文字。以上!!!!!
ここまでくると、気の抜けた笑いがこみ上げてきました。
そして私は犯罪者ではない。
私には感じる自由がある。
以上!!!!!
今にして思うと、アンチは低脳男性性の顕れです。
私が感じたことを否定するもの。
そして片一方では常に私の感じた事を信じて守ろうとしてくれた、夫がいました。
この二つも、どちらも事実です。
「私が感じた事を非難し、捨てさせようとする人がいる」
「私が感じた事を信頼し、大切に守ろうする人がいる」
それまでの私は恐怖に支配されて、後者の事実を見失っていたのです!
非難も信頼も私に届いた「反応」です。
どんな反応があるかは反応する側の自由だし、それは私の領域ではありません。
でも、どちらを向いて生きていくか?
どちらの人を大切にするか?は、
私に与えられた選択です。
私は事実を明らかに見ることで、アンチを受けることから立ち直りました。
表向きな「前向き」や、ポジティブシンキングではありません。
それはどう考えても、本質的な変化でした。
今現在も、このブログをアンチされる事はあります。
私という素材は良くも悪くも目立つし、アンチされることも多い。
これは、本当に「どうしようもないこと」なのです。
(一時は「嫌われたくないから自分を変えたい!」と思っていましたが、今は全くそう思ってません。私は私の幸せのために、私を生きます。)
でももうね、怖さはないです。
そして誤解を恐れずに言うと、人はアンチによって殺されるのではないのだよね。
世間の人達が言うように「アンチが殺した!」「言葉には人を殺す威力があるんだ!」というのは、ほんの少しだけ言葉が足りないように思います。
自分を殺すのは、アンチに説得された自分自身なんだよ。
私も一度は本当に説得されかけた身だから、痛いほど分かるのです。
確かにネットアンチ達の言葉には、ものすごい「説得力」があるということ。
自殺に追い込まれるほど、説得されてしまう力がアンチにはあります。
アンチは人を貶め、傷つることが、目的なのです。
アンチと健全な批判者の違いはこの「目的」です。
傷つけるためにありとあらゆる手段で人の弱みにつけ込み「言われたくない言葉」を、容赦無く投げつけてきます。
そして普通にしているだけで、どんどんどんどん自分でも自覚ないところでその「説得」に応じてしまっているというのは、実際誰にでも起こりうるのです。
それが良いとか悪いとか、「アンチに病んだ自分が悪い!」と言いたいのでは全くありません。
私が言いたいのは、自分の身は自分で守れるんだよ!!それは自分の領域なんだよ、ということです。
それに必要なのは、事実を明らかに見る力。
自分のためにそれをしてあげる力です。
どんなに酷い言葉でも、どんなに汚い言葉でも。
画面上の言葉、以上!!!!
そして、私のいる場所は「画面」ではないはずです。今ここに、沢山のものがみんな目の前には「在る」はずです。
何を見て生きるかは、誰にでも許された自由です。
どうしても画面に意識がいくなら、叩き割ったっていいんだよ。
それは単なる「精密機器」なのだ。
叩いたら割れる。
自分が恐れている「それ」は、事実そんな物質でしか無いんだよ。
他にもこの件で書きたいことがあるのですが、長くなったのでまたにします。
こんなに長い文章を読んで下さったことに、感謝致します。ありがとうございます。
そして、本当に大切なことだと思って精一杯書きました。
これはいつもですが、いつも以上に「言葉足らず」「表現力不足」なブログだと思います。
それでもアンチの攻撃から本質的に立った自分の経験を、今書いておきたいと思いました。
必要な誰かの心に届きますように!!
そしておこがましいようですが、もしいいな♡と思ったら、是非リブログして欲しいです。
本当にこれで最後にします。
アンチも私にとっては「画面の文字」だけど、恐らくは生身の人間です。
その人達がどう在り、何を考え、どう行動するかは本質的に人間に与えられた自由です。そうゆう意味で、その人達にも「絶対的な価値」があるわけです。
その人達を罵倒し罰することはある意味では必要であっても、それは"本質的では無い"というのが私の考えです。
悔しくても、アンチから学びました。
私は特別メンタルが強いわけでもないし、どちらかというとすぐ病む方だと思う。
そんな私でも、アンチされても差し支えない自分で在る事が出来ました。
アンチされても差し支えない自分で在る事は、絶対に出来ます。
私達がそう在る事は一周回って、アンチへの唯一で最大の報復でもあると思っています!!
今、自分がどんな在り方をしているか?が詰まっているのが『暮らし』です。
その暮らしを丁寧に見つめて、在り方に気づいていく♡必要であれば変えていく♡
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