三番目の末っ子が生まれて一ヶ月が過ぎました。
お兄ちゃんととにかく顔がそっくり!!全員もれなくソース顔の我が家です。(笑)
三番目が産まれた時、
実は私の中にはある疑念がありました。
それは・・・
「子供が三人になると、真ん中の子はなげわらしになってしまうのか?」
ということ。
なげわらしって「八戸弁」なんだけどね。(私が住んでいる青森県八戸市の方言!)
"保護者から放任された子ども"って意味で使われる言葉です。
子供が三人いると、
一番目は最初の子供だから可愛がられる
三番目は小さくて手がかかるから可愛がられる
結果、二番目はなげられる(放任される)。
ってことみたい。
(なげわらしって言葉は八戸弁だけど、多分この「三人兄弟設定」って全国区だよね?違うかな???誰か教えて!!!)
子供を二人産んでから
「ゆず(二番目の娘)が可哀想だから三番目は作るな。」
っていつも言ってくる人がいて。
その人も子供が三人居る女性なのに、何でそんなこと言うんだろう?後悔してるのかな?って、いつも不思議だった。
そしてそれは確実に設定なんだけど、実際に自分が三人の親になった今、考察してみたのです。
そこで気がついた!!
親の愛情はこうあるべき!って決めてると、そう感じるんだな。ってこと。
赤ちゃんが産まれて上の子に今までしてあげていた事が出来なくなった時。
子供には時間も手間も沢山掛けてあげることが愛情!って設定しているから、苦しくなるし悩むんだと思った。
でも、私が三人の母になって感じたのは
どの子も愛しちゃってるな!って事でした。
「私、愛してるんです!!」って気合いの入った感じより、自然と・勝手に湧いてくる感じ。それも常に「愛してるよ!」って意識してるわけでもなく、常にそこにある感覚。
それをいちいち「愛情とはこう!」って、決めなくても良いんじゃない?って思ったんだよね。
この記事にも書いたけど・・・
もしかすると、それもまた「壮大な拗ね」なんじゃないか?って思いましたね。
「自分は親にこうして欲しかった」「でもしてもらえなかった!」って言うところから来る。
だって、どう考えても自分の心の中を丁寧に見たら、愛情に順位なんてつけようがないもん。
それを自分から「この形に当てはまってないから、この子には愛情が足りてない!」ってやって、わざわざ苦しむ必要があるんだろうか?
もしかするとその「形」に一番当てはまりにくいのが「真ん中の子」なのかもしれないね!
ただそれだけのことで、「三人とも愛しちゃってること」が自分にとっての事実。
それはもしかしたら子供達には伝わらないかもしれないし、いつか大人になった子供達に「手をかけてもらえなかった!」とか色んな理由で責められるかもしれないけど、それはそれでいい!と思ってます。
子供達にもそれぞれ感じる自由があるし、でもそれは幻だった!って気がついていく自由もあるのだよね。
実は私自身も三人兄弟なんだけど、うちの母がよく言うんです。
「子供が三人居てくれてほんっとに楽しい!」って。
三人目を授かった時にも一言目には「ママも子供三人居て良かったな!って思ってるよ。」「良かったね」って喜んでくれて。
同じ子供三人なら、私もそんな設定で生きていたいと思います。
「子供三人とっても楽しい設定♡」で、これから先どんな楽しさを味わえるのか。とっても楽しみ!
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