なんで生きているのか、てゆうか、なんで生きていられるのか?

人間を生かしているものはなんなのか。

学生時代、わたくしめは、三島由紀夫フリークでした。

なんて綺麗な日本語なんだろう。吸い込まれるような文章に夢中になってしまいました。他の作家の文章が余りに幼稚でスカスカで、薄っぺらで、つまらなくて全く読む気がしませんでした。

ごみための中にポツンと落ちているダイヤモンドとでもいいましょうか、後にも先にも、いまでも本当のそして、文壇最後の天才だと思っております。文庫本で手に入る限りはほとんど読んだと思います。細かいストーリーは忘れましたが、ひとつひとつの文章そのものに妥協も隙もなく、考え抜かれ計算されております。山脈のような豊饒な和漢洋の圧倒的教養知識の上に立ち、言葉の海を自在に泳ぎ、全く他の作家とは次元が違うような気がしました。単なる子器用な頭のよさだけで書ける小手先の文章ではなく、その美意識の結晶のような作品群はわたくしを夢中にしました。ひたすらアメリカナイズされてゆく戦後の陽気で軽薄な虚無と格闘し、図らずも戦争で死ねず、生き伸びてしまった頬被りして生きている自らの命の使い道を模索し続けた作家であると思います。書くという行為がなかったら、三島氏は自らの居場所を失い、戦後というモノが溢れかえった拝金主義の虚無の中で、呼吸困難に陥り、とうには発狂していたでありましょう。いろんな解釈がありましょうが、それは人それぞれでよいと思います。

三島氏はとにかく殺し文句の天才でした。

こんなことも言っておられました。「人間は自分のためだけに、生きられるほど強くない。」

今、流れ星が流れたのか、気のせいだったのか、判別はつきかねるけれど、時折、意識の片隅を一瞬流れ星になった彼が走りぬけるのです。

https://youtu.be/6JebN6gCIMo