Let it be~流れに任せて~
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3行ラブレター

君が泣いている
僕に原因がなくても謝る
君を笑顔にする言葉が思いつかないから

君のために買い物をして疲れた
でも明日から頑張れる
君のための疲れは元気の源

何で愛してるって言ってくれないのと君が泣いた
でも言わなかった
本当に大事な言葉はプロポーズにとってあるから

君の家まで片道1時間
疲れていても家まで送って帰りたい
それだけで明日から頑張れるから

悲しいとき
君の胸に飛び込みたくない
君のふところは安心しすぎて泣いてしまうから

ありがとう

また地震について書こうと思う

僕たち家族は前日須磨の水族館に行っていた
その時のことを1つだけ覚えている

イルカショーでイルカが芸をしない
イルカは地震が来ることに気付いていたんだと思う

僕たちはそんなことも知らず家に帰りいつも通りの新しい1日が始まると思い寝床についた

そしてAM5:46低い地響きの後どぉんという音とともに大きな縦揺れその後に横揺れが来た

僕の上には母親が覆いかぶさって守ってくれていた
兄は寝ていた笑"

父はタンスの上から落ちてきたラジカセでオデコを打ちオデコと目を手で押さえたその瞬間手の甲にガラスが刺さった
もしあの時タンスからラジカセが落ちてきていなかったら父の右目は…

その父の横にはタンスが扉が開いた状態で倒れてきていて畳に深々と突き刺さっていた

寝相の悪い父が寝返りを打つ方向を間違えていたら…

今考えると自分の家族も凄い幸運に助けられていたことを両親から聞いた

ぞっとした

と同時に今家族がいることに感謝した

家の外に出たらみんな家から出て公園に集まっていた

父は隣の家の人のドアが変形して開かないと隣の家の人を助けに行っていた

いつもの公園も地面が隆起して波打ち膨らんでいた

なにも情報が無かった
その時ある情報が入った

『中央区にあるガスタンクが爆発する。』
確認する術が無かった
確かな情報かもわからないままみんなで歩いて逃げた

途中たくさんの家が潰れていた

あの中にも助けを待ってる人がいたのかもしれない

でもみんなそれ所じゃ無かった

30分ほど歩き線路沿いの駐車場で廃材を使いたき火をしている人達と一緒に過ごした

タンクは爆発しなかった

その時改めて父を見た
頭から血を流し手も血まみれになっていた

でも父は僕達に心配させない様に振る舞っていたが
今考えればパニックでどうしていいかわからなかったと思う

昼頃家に帰った

家のほとんどの食器は割れて床じゅうに散らばっていた

今でも家にある食器はセットでそろっているものはない

そのあと昼ご飯を食べることになった

水も電気もガスも無かった
マンションのタンクから漏れていた水をみんなで分け合った
ガスはカセットコンロで代用をした

両親は水が無かったのでチキンラーメンをそのままかじっていた

その日の夜はマンションがヒビだらけで危なかったので車で寝ることに

次の日の朝
どこの人かもわからないおじさんがトラックにお菓子や食べ物や水を一杯に詰んで運んでくれた

みんなにただで配ってくれた

みんな感謝してそれを頂いた

おじさんは地震が起きてすぐに準備をして何時間もかけ、通行止めや渋滞を抜けて運んでくれたんだと思う

凄い人だと思う
人類がみんなあのおじさんみたいな人ならいいのにな

そのあといつもは1時間で行ける道のりを10時間かけて大阪にある父の会社の寮でお世話になった

次の日には京都府宮津市にある祖父の家に行き
数日後現地の宮津小学校で従兄弟と兄の3人でお世話になることになった

みんなとても優しく毎日のように一緒に遊んでくれた
同じ1年生だけでは無く
兄と同じ3年生の人達にも遊んでもらった

その時の校長先生は今でも僕達のことを覚えてくれているらしい

一度挨拶に行き感謝の気持ちを伝えたいと思う

助けてくださったみなさんのおかげで今こうして大きくなれました

本当に感謝してもしきれません

まだまだ地震傷跡はあちらこちらに残っています

でも神戸は地震の前より強くなりました

住んでいる人達は

『人を助けるのは国でも無く機械でも無く人の手であること』

を知りました

地震はたくさんのものを一瞬にして奪い去りました

でも大切なことを学ばせてくれました

このことを風化させてはいけない
語り継いで後世に残していくこと
それが僕達地震を経験した世代の義務であると思います


助けてくれた名前も知らないたくさんの人達
父の会社の人達
宮津の人達
親戚のみんな

そして辛いのを顔にも出さず僕を守り引っ張ってくれた両親
どんな時も優しかった兄

本当にありがとうございました

僕はまだまだ未熟ですが
いつか家族ができ、守る立場になったとき
父のような大きな頼れる人間になることを誓います

4月には就職をします
どこで働くかわかりませんが

いろんな人と出会い
いろんな思い出をくれた神戸

僕は神戸が大好きです

一生神戸っ子であることを誇りに思い生きて行きます

生きている幸せ

阪神大震災から15年

毎年見る震災のドラマ
今年初めて感じた
『自分は被災者じゃない』

小学校1年生だった僕はほとんど記憶もない
震災後父の仕事場である大阪へ避難しその後母の実家である京都へ避難した

だから被災した街を知らない

その上僕の周りでは大きな怪我や亡くなった人はいなかった

僕は地震の辛さを知らない

だからこそ震災に関しての本などを読もうと思う

擬似的にでも経験をし
生きていることへの幸せを感じ
感謝し優しい人間になろうと思う。