今日は東日本大震災を弔う日になっております。
前の記事では、わたしの当日の出来事をお伝えしました。
さて、この記事では
この記事ではこの震災で影響を受けたことをお伝えします。
あの日、地震起きた後。
周りは自宅の被害状況を案じて、ほとんどの方が仕事を切り上げて自宅へ急ぎました。
あの日、地震発生後、道路は車の渋滞になったのは、前の記事でお伝えしました。
わたしの勤めていた会社の社員も道路の渋滞状況を念頭におきながらも、家路に急ぎました。
ところで私ですが・・・
わたしはなかなか家に向かうことはしませんでした。
時間を戻すと、わたしは通勤は自家用車でした。
家から仕事場までは40キロあって、ガソリンの給油のペースは4,5日に一回でした。
その頃の会社から支給される交通費手当は1回の給油分しか当時支給されませんでした。
そのため、車の中に入っているガソリンもタンクがカスカスになるまで走らせてから満タンに入れてました。
この日もほぼカスカスになるくらいの状態で会社に出勤してました。
それがこの事態になってしまいました。
出来ることならすぐにでも帰りたい気持でした。
ただ、渋滞になればアイドリングでもガソリンを食うし、
また、アイドリングストップして動くときにエンジンをつけることは、車の燃費あまりよくないから、非常に困りました。
結局、次の朝になるまでその場に待機することになりました。
震災や災害などの有事はいつどこではっせいするかわかりません。
この教訓として、これだけは伝えておきたいのは、
「万一の時のため備えるのと余裕をもつ。」
ということです。
ガソリンはその後、給油を巡って大変な事態なってしまいました。
ガソリンスタンドに長蛇の列になり、先着順での給油でタンクの備蓄が無くなるまでにできるだけの多くの車に供給するよう店側は努力してました。
しかし、後々揉めることになってしまいました。
わたしが現在住んでいる愛知県三河地方は南海トラフ地震の発生する可能性があります。
もし、起こってしまったら、震災の二の舞もありえます。
十分お気をつけください。